浪速のロッキー 赤井英和
1980年代初頭はプロボクシングの世界はいわゆる黄金のウェルター級といわれた時代でレナード、ハーンズ、デュランが凌ぎを削りミドル級でM・ハグラーが待ち構えているといういわゆる四天王の構図がありました。
残念ながら赤井選手は世界チャンプにはなれませんでしたが我々にインパクトを残してくれた選手でしたね。
私が南大阪の大学に通う頃、地元や大阪市内から通う学生仲間にこの人の逸話は色々聞かされましたわ。
いわゆる夕焼け番長みたいな人で南海高野線?だったかな。
通学途中にメンチ切ったり、いちびってる格好してる不良を片っ端からKOしまくっていたらしいのだ。
ヒクソン・グレイシーが400戦無敗とか喧伝してましたけどこの人は1000戦無敗くらいだったんじゃないかなあ~。
ただ北陽高校にだけは手を出さなかったようです。岡田彰布元阪神タイガース監督がメチャクチャ強くてこの人の2級上で居たのと1級上に前田日明がいたからではないか?と言われています。
EJさん実際の処どうなんですかね(笑)
EJさん実際の処どうなんですかね(笑)
ソレとこの時代はライト級以上のクラスは東洋レベルでは世界に通用するボクシングをする選手が少なかったのもこの選手の成長を妨げたように思えるのです。
3年ほど前から亀田3兄弟に対しての世間一般やボクシングファン、ボクシング関係者が苦言を呈しているのはこの赤井選手の記憶が未だに鮮明に残ってるからではないでしょうか。
いつもかませ犬のような相手と試合をするから世界レベルでの試合では全然通用しないって。
ただ赤井選手の時代は日本の対戦相手が避けていた処もあるので亀田とはエライ違いがあるのですが。
一時期の試合ではサラリーマンと兼業してた時代のジョー小泉がトレーナーとして付いていましたけどちゃんとボクシングを教えていたんでしょうか??
しかし大いにこの選手は関西を元気にさせてくれた華のあるスターボクサーでしたね ♪