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夢の超特急  シュガー・レイ・レナード

シュガー・レイ・レナードは日本のお茶の間でもある程度名前の知れた1980年代の中量級のスターボクサーでした。
 
1976年のモントリオール・オリンピックで金メダリストになりその余勢をかってプロデビューするのですが実際は本人はプロ入りする予定ではなかったらしいのですが予期せぬ身内のアクシデントが重なり経済的事情からプロボクサーになる決意をしたそうです。
 
実際、ルックスを見てもボクサーのような風貌に見えずエマニエル坊ややマイケル・ジャクスンを連想させる感じでそこがまたアイドルとして全米で人気を博していたようである。
 
レイというセカンドネームは父親がレイ・チャールズのファンだったこともありそこから名付けられたようです。
 
拳聖シュガー・レイ・ロビンソンから頂いた名前ではなくシュガーは多分ボクシング関係者が名付けたんじゃないか?と推測します。
 
デビューから世界初挑戦まで無敗を誇っていましたがパンチ力とパワーは常に疑問視されていました。
 
1979年に天才ボクサー、ウィルフレド・ベニテスにKO勝ちしてウェルター級王座を奪取した時にその評判を払拭した感があります。
 
1980年に石の拳ロベルト・デュランに2-1のスプリットで判定で負けた後、再戦して8回棄権TKOにて勝ちますがこの試合の評判が悪くて両者ともに評価を落とす結果になります。
 
そして1981年に統一ウェルター級戦をトーマス・ハーンズと行い14回逆転KO勝ちします。
 
この試合はオールタイムランキングでも史上最高峰の名勝負として常に語られます。
 
その後この試合のダメージで網膜剥離になり引退、1987年に3年のブランクを経てミドル級チャンプ、マービン・ハグラーに挑み激戦を制して判定勝ちを収め奇跡のカムバックを果たします。
 
作家の故佐瀬稔さんも仰ってましたけどレナードというボクサーは30代を越えたあたりから理詰めで闘うマシーンの様な肉体を誇っていたのがもう動けなくなってきて衰えてきた時に感情がボクシングスタイルに見受けられそこが魅力でもあったそうです。
 
スポーツ選手はその肉体が頭で考える様に動けなくなった時に動きの中に感情が見えてくる姿というのは特に超一流のレベルの選手に見受けられる現象でそれはある種詩的でもあり、残酷な瞬間でもあると言えます。
 
最終的にはL・ヘビー級チャンプに減量をさせて新設のS・ミドル級との2階級同時制覇マッチなんて試合を制しますがコレは当時も今もあまり評価はされていませんが自分の体格より二廻りは大きな体格のドニー・ラロンデをKOした時は少し驚きましたけど。
 
最盛期に活躍した時期から4半世紀以上が過ぎてもフォロワーが後を絶たず出てくる伝説のボクサーですがこんな華麗なリングの動きをする中量級のボクサーは唯一つ彼以外にいないように思えますね ♪