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絞死刑

大島渚監督の本作は1968年の創成期のATGから発表された作品です。
 
フランスで1950年代後半にヌーヴェルバーグというゴダールフェリーニの描くもういわゆる第二次大戦で被害にあった国や人々(当時の先進国が主)が傷も戦後癒えてきて従来の映画とは違う価値観の新しい潮流を生み出した映画の動きがあり、我が日本でも松竹ヌーヴェルバーグと言われたその中の旗手でもあった大島渚の当時1千万の製作費をかけた力作です。
 
ヌーヴェルバーグの動きは日本やアメリカにも飛び火してアメリカではいわゆるハンサムボーイが活躍しない主人公がどちらかといえば不格好でラストのエンディングがあまりハッピーでないモノが登場してきます。
 
この映画は1958年に実際に起きた事件をモデルにしており死刑制度や在日韓国人問題を追及してる1本です。
 
この映画の死刑囚Rは未成年で女子高生を殺害した罪で絞死刑になるのですが彼が在日韓国人でなければ少年法にて死刑は免れていたと思う。
 
さて粛々と死刑の段取りを進めてイザ執行ってなった時に失敗してしまう。
 
死刑執行人たちは慌てふためいて刑の再執行をしようとするがRが今度、失敗のショックの為に心身喪失状態になってしまって出来なくなってしまう。
 
そこで執行人達が寸劇でいや待てよ?このRホントに真犯人だろうかと今一度執行所で寸劇で彼の犯罪を再現しようとする。
 
その執行人達の寸劇を通して当時の日本国家の矛盾や問題点をこの映画は指し示しているようである。
 
この映画を観た時、私は大島氏が未だ元気で健在な時に『朝まで生テレビ』の論客で出演してて、どんな議題に対してもバカヤローって怒鳴って勇ましかったのが、同和部落、在日問題の彼の地元の京都のとある地区の話になった時に『そこは禁忌です、私は怖いので黙ります』って確か言ってたのを思い出しました