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デトロイトのモーターシティコブラ トーマス・ヒットマン・ハーンズ

中量級のオールタイムでは個人的にはロベルト・デュランが一番好きなボクサーですが1980年代に限って言えばトーマス・ハーンズです。
 
1980年に当時ウェルター級で無敵といわれたホセ・ピピノ・クエバスを地元デトロイトで2RTKOに葬った試合は凄まじいの一言に尽きます。日本のファンとしては前座でJ・ライト級戦で王者サムエル・セラノを上原康恒が一発KOした試合も嬉しかったですね。セラノは同年、日本最高のテクニシャンといわれたバトルホーク風間(故人)
をオモチャにして寄せ付けずKO勝ちして日本のボクサーはボクシング勉強したほうがいいね的な発言をしたアウトボクサーで個人的に気に入らないスタイルのボクサーでしたから尚更でした。
 
このハーンズはもう王者になる前から一階級上の元王者エディ・ガソ(輪島を寄せ付けなかった)をはじめ数々の元王者をことごとくKOで沈め人気もS・R・レナードを凌ぐ勢いであった。
 
元々バスケットボールの選手だったのがアマチュアボクシングに転身、バンタム級でスタートしたらしいのですがアマチュア時代は非力でアーロン・プライアーに負けていたりしています。
 
プロ転向後、名匠エメニュエル・スチュワードの元でパワーアップさせ攻撃的なデトロイトスタイルというボクシンススタイルを確立させKOの山を築きます。
 
そのスタイルは特異で左手をダラリと下ろした状態で下から伸びあがるようなフリッカージャブを打ち、ブロックは主に右手と左肩のショルダーブロックのみのブロックで後はウィーヴィング。
このジャブは当時世界最速の速さで威力も物凄かったです。
 
大昔、20世紀初頭のボクサーでジョーイ・オリボという少ししゃがめば両手が床につくほどリーチの長い選手がいたそうなんですがこの選手はソコまでいかなくても異様に手足が長く銅の短い顔の小さいボクサーでした。
しかもウェルター級は約66キロのクラスなんですが186センチの長身でクエバスに勝った試合でアリと並んでる写真を見たら身長が変わらないので190センチ近くあったようです。
 
こんな体型はボクシングをするうえで理想的であり、私の知り合いの格闘ファンは気に入らないって人もいます。
勝って当たり前だろうと。
 
1981年にレナードと統一戦を行い14RTKOで負けますが採点ではリードしていたので逆転KO負けで後世に語り継がれる名勝負で後にフリッカージャブを貰い続けたレナードは網膜剥離に見舞われブランクを余儀なくされ引退に追い込まれます。
 
その後、J・ミドル王者になり統一ミドル級王者マーベラス・マービン・ハグラーに挑みますが3RKOで敗れますがこの試合の1Rの攻防でハグラーが彼の右を被弾した時に短期勝負でいかないと自分がやられると思ったそうです。実際は右の拳を試合前からハーンズは痛めていて1Rから全力で行かないともたないと判断したそうです。アウトボックスしていればそんな早い回の決着にはなっていないと思うのですがソコが彼の勝負師としての潔さとスタイルだったのでしょう。
 
最終的にレナードと争うようにS・ミドル、L・ヘビーまでの5階級を制覇します。
 
又、S・ミドル時代にアイアン・バークレーという2流ボクサーにKOされますがどこかそういうモロさが弱点ではあったのですが女性人気はナンバー1だったみたいです。
ボディの美しさは歴代ボクサー随一でしかも顔はどことなくボブ・マーレイを彷彿とさせる2枚目である。
よくボクシングマガジンにこの動画の練習風景の写真があってハーンズスマイルって彼がニコって笑ってるのを自分も真似したのですが所詮、東洋のモンゴロイドでは全く絵になならなかったのである(笑)