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サウンド・オブ・ミュージック

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1965年に公開された本作はわたしが個人的に言うまでもなく20世紀の映画史上に燦然と残る名作である。
 
コレを観るといつも自分が小学生時代にこんな美人の先生に音楽を教えて貰っていたらクラシック音楽も楽しかったやろうなあ~って事である。
 
ワタシが通っていた小学校は毎年、神戸祭り(当時は港祭りと呼んでいた)のメインパレードに鼓笛隊を披露するって事で音楽の先生がその時期が近付くと狂人のようになり、狂うように少年少女を指導していた。
 
今の時代なら完璧にひっかかる指導だろうけどスパルタが生きていた時代なのだ。
 
一番先頭の指揮者は女子の背の高いカワイ子ちゃんで、2番目が体格のいい男子が大太鼓、そのあとがスネアドラムっぽい小太鼓、その後ろに数人のアコーディオン、その後ろが多数のピアニカ隊、一番後ろのその他大勢が一番大量にいる音楽センスのない立て笛が続いていて、当然ワタシは立て笛隊であった。
 
それで前年から猛特訓してお題目の行進曲を覚え5年生以上の上級生になると祭りの時期に披露していたのだが、ワタシが4年生の時に鼓笛隊が廃止されたので全校生徒全員がホッとした記憶がある。
 
代代、よくわからんけど名門の音大出身の音楽の先生が赴任する学校だったので、威信もあったのだろうが生徒全員から音楽の先生は嫌われていた。
 
ワタシと友人なんかお題目の曲が完璧に吹けないからといって放課後、音楽室の物置に吹けるようになるまで軟禁されたこともある。
 
何度もこのアホ教師の大事にしているクラシックのレコードを傷だらけにしてやろうかと画策したことか。こんな不幸な出会いが無ければもう少しクラシックに親しめたのかもしれないと思ったりもする。
 
でこの映画なんですが実話をもとにしたミュージカルをロバート・ワイズ監督が見事映像化に成功させた傑作である。
 
修道院を抜け出して草原で高らかにテーマ曲を歌うマリア(ジュリ-・アンドリュース)が登場する冒頭のヨーロッパの山々を空撮する壮大なシーンからこの映画の風格と品格を感じる。
 
1938年のオーストリアナチスの勢力が徐々に進行している時期でこの物語は後に家族合唱団となるフォン・トラップ大佐にまつわる話である。
 
奔放で子供好きなマリアは修道院から厳格なトラップ家の家庭教師を務める命令を受ける。
 
この7人の子供たちがなかなか心を開いてくれないのだが、マリアの歌で徐々に心が通じ合う。
 
大佐とも恋が芽生え、一家は音楽祭を利用して国境の山を越えてスイス脱出を図るのだが果たしてどうなるのか。。。。。。
 
子供たちの純粋な表情、アンドリュースの素晴らしい歌唱、亡命、脱出の冒険スリルとココには映画黄金時代のエンターテイメントのエキスがたっぷり詰まっています。
 
軽快なテンポとリズム、映像の躍動感は見事で同年のアカデミー作品、監督、編集、編曲、サウンド賞を受賞した。
 
ドレミの歌の本当の意味はこの映画を観て初めて知りました。
 
いつもこの映画を観ると少年時代に学校の図書館で借りまくったポプラ社刊の「怪人20面相」や「怪盗アルセーヌ・ルパン」、「名探偵シャーロック・ホームズ」なんかを懐かしく思い出します
 
沢田研二もこの映画を観て大感動したんだろうなあ~