僕は天使ぢゃないよ
1974年に公開されたこの映画は幻の映画として14年後に劇場公開されたそうだがてんで記憶にない。
多分、ミニシアターで限定公開だったのであろう。
こういう映画はしっかり劇場で観てみたいもんだと言いつつ自分もコレは後追いで衛星放送で観たのが初めてである。
異端派とも言われるミュージシャン、あがた森魚が駆けだしアニメーターと、その恋人の悲恋を描いた林静一原作の「赤色エレジー」をもとに監督、脚本、音楽、主演を手掛けた青春映画である。
この映画は話の筋はナンセンスで別にとりとめのない1970年代半ばのHIPな若者の日常を淡々と描いているのであるが、普段まずは実物にお目にかかれない大滝詠一や横尾忠則、岡本喜八等、脇を固める顔ぶれが見応えのある映画である。
他にも桃井かおり、泉谷しげる、鈴木慶一の若かりし頃の姿が見れるのでこの辺りが好きな人にとっては重要な映画と言えるかもしれない。
この映画に出てくる若者はいわゆる~世代的な言い方をすると、シラケ世代なんであろう。
ちょっと上の団塊の世代のような暑苦しい熱血漢や全共闘世代の様な異様なまでの緊張感なんてのがまるでなく4畳半のアパートでコソっとグラスを回す主人公、大滝、桃井なんかがいたりして挿入されている音楽もそうだがゆっくりのんびり彼らの周りの時間が流れている様な印象は受ける。
昔から思うことなんだが、ワタシにも尼崎市や地元神戸にこの年代の親戚のお兄さんがいたりして独特の匂いがしました。
この世代特有の。俺たちは下の世代からみてこういう独特の匂いは出せていないように思う。
俺たちの若い頃はバブル世代とか新人類とかってよばれたもんであるが、最近そういう~世代とかって呼称も昔ほど言わなくなってきてるような気がします。
ただ憐れみでも何でもなくて今の若い世代(2000年代以降)の人たちは音楽や文化、映画、書籍なんかに限って言えばこのシラケ世代やバブル世代より遥かに面白いものが無く、不幸な気はする。
まして匂いなんてなくて無味無臭な感じである、、、まぁおっさんの戯言だけどね。