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ハンマーパンチ  藤猛

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藤猛は1960年代に活躍した日系3世のボクサーで当時の世界J・ウェルター級王者でかつ、ワタシが知っている限り日本が生んだ歴代の世界王者の中でも最もパンチ力が強く、当時の日本の人の平均体格から言っても絞った体重で60kg以上の重い階級で世界王者に君臨するのは特筆すべきことだと思う。

世界団体がNBAかもしくは団体の概念がなく階級も団体も細分化されて可能であれば17階級+4団体で68人の世界王者が最大でも存在できる現在とは違い10階級しかない時代で世界王者一人の時代ですから単純比較はもちろん、出来ないけれど文字通り王者の時はその時代でただ一人その階級の世界一強かった男なのである。

伝説となってるファイティング原田氏やこの人のファイトは残念ながらリアルタイムで観た事はないが、ワタシの母親や父親が言うにはファイティング原田は偉大で強かったというのはよく聞かされたが、この人の事はあまり聞かされてはいない。

どちらかといえばマイナスイメージで伝え聞いたような記憶がある。

何が大和魂や!といったイメージで伝えられたような記憶があるのだ。

ソレは逆に期待していたのに、突然引退したり練習嫌いで世界タイトルを技巧派ニコリノ・ローチェに奪取された試合の印象が強かったのかも知れない。

ワタシはこの人主演の映画を観た事があってソレで存在を知ったくらいでその本業のボクシングの経緯はあまり知らないのですが、ただ最終戦績38戦34勝(29KO)3敗1分で7割を誇るKO率というのは当時のファンを熱狂させるだけの、ファイトをしていたように思うしファイタースタイルの強打者として日本屈指の存在であるともいえる。

後年、ボクシングを引退してキック・ボクシングに転向しパンチだけで対抗するが無残にも相手のキックボクサーにもパンチだけで応戦されて敗退しておりある意味、引退後のボクサーの悪しき慣習を作ってしまった人ともいえるが今のK-1が一時、隆盛を誇ったように1970年前後は空前のキックブームが台頭してきた頃で、コレは周りのブレーンにも責任があったように思う。

実際はファイトマネーの取り分などでジム側とモメて引退したそうなんですが、TVのブラウン管からたどたどしい日本語で無邪気に笑いながら「大和魂ね」って言うベビーフェイスに多くの日本のスポーツファンが癒され熱狂したのも事実だし、映像で試合を観る限り猛烈なファイターで素人好みの豪快なファイトをしていた素晴らしい世界王者であった事には変わりがないのである