気ままに気楽に

今日も息をしています

処刑前夜



イメージ 1


8月になれば馬鹿な俺でも広島、長崎の原爆投下、15日に終戦日等があり嫌でも人命とは?とつくづく考えさせられる月でもある

それは俺がこの日本で生を受けて息をし続ける間、考え続けるであろう永遠のテーマであると思われる。

俺たちが子供の頃の夏休みといえば、学校の左翼系教師が絶対に教えたがらない太平洋戦争の悲惨な史実や現実を常にTVで放映していたものだが今はどうなんだろう。

あーいったモノは永遠に伝えて行かねばいけないものだとは思うのだ、特に子供たちに。

ソレでこの映画は1961年に日活が製作し、死刑囚の俳句から、北山河、北さとりが編著した同名ベストセラーの映画化である。「少女」の共同脚色者・池田一朗の脚本を、「十六歳」の滝沢英輔が監督した。

今の処、封印映画の様でDVD化されていないし今後もされることはないだろう。

あらすじは第1級殺人罪に問われた若者がその極刑に処されるまでの監獄での絶望と悲しみ、怒り、悟りを描いておりこの若者役をワタシが最も好きな役者の一人である川地民夫が熱演している。

当然、監獄の中には自分と同じ境遇の死刑囚が居るのだが、川地演ずる高村勇と比べて一回りもふた回りも年長である。

しかも、犯した罪が彼の場合勤めていた酒屋のトラックを運転中に交通事故を起こし、その弁償金を払えないため、勤めていた酒屋の主人の金に手をつけようとしたところとがめられ、ついには酒屋夫婦を惨殺してしまうのだが、聞いてみると他の死刑囚はもっと利己的な理由で数人殺人を犯した連中ばかりなので、何故俺も死刑になるんだと疑念にかられる。

そこで彼は刑が執行するまでの間に脱獄を図ったり、絶望のあまり気がふれそうになって独房に入れられたりするのである。

又、同じ死刑囚が普段は俺はもう好きな事してきたし、人も殺してしまったから仕方がないわさと達観していてもいざ、死刑執行の当日になると阿鼻叫喚の叫びをあげ赦しをこう姿を見て愕然とする。

そりゃそうだろう、実際に俺なんかでももし殺人罪で有罪となり死刑執行ってなったら罪を罰で償うとはいえまともな精神状態でおれないようには思うわけだ。

個人的には死刑は廃止して、アメリカの一部の地域にあるように終身刑かそれに準ずる懲役100年とかってのが望ましいけど難しいのだろうな。

現実に日本は終身刑はなく無期懲役でも模範囚なら最短で15年くらいで出れたりするので、死刑が存在するのであるが民主先進国と言われてる国の中でこの制度が採られてるのは少なく日本がその一つである。

凶悪の一路をたどる少年犯罪なんかも罪は軽い様には個人的には思う。

それ相応の罪を犯した者は年齢関係なく、その罪に相当する十字架を背負わせねばいけないと普通に考えるわけだ。

1990年代の米映画「デッドマン・ウォーキング」の下敷きになった映画ではないかと見ています。