D面の神戸とは?
一般的に兵庫県という県名は全国的に馴染みがない。
神戸という県庁所在地の方が有名。
レコードに例えますと、神戸というのは3枚組のアルバムで例えると俺が住んでいる地区神戸市でも少し西神戸地区でD面と言えよう。
今から語る俺の地元に対する感覚はあくまで俺が感じる地元の感覚であり、専門家や研究家と見解は違うだろうが大げさでもなく少し真実はあるのでよろしく、ただコレが全てではないので誤解の無いように願う。
まずA面の神戸というのは元町、三宮地区で関西でも5本の指に入ろうかの繁華街である。
細かいデンジャラスゾーンはありますけどまあ地元の人間以外からはいわゆるお洒落な印象があるかな?
この昭和37年だかに建設されたポートタワーは今も管制塔としての役割を果たしているのであろうか?
特撮ファンにはおなじみでウルトラセブンに登場の無敵ロボット、キングジョーが出現したところでもある。
海運業が華やかなりしころは世界に栄えた港であった。
港湾事業で大きくなった組織の一つに山口組がある。
昭和20年代後半から30年代にかけて全国組織となり又、良くも悪くも全国的となる。
関西で粋がって俺は菱の代紋がうんぬんかんぬんというチンピラがケンカの常套句につかう輩が居たけどほとんど嘘。
モノホンは銭にならないことには動かないしキャンキャン吠えない。
昭和60年代までは一般レベルに届いた存在でしたが平成時代~現代にかけてはあまり聞かなくなったけど、それでも威光はとどろく部分は偶にある。
1千万ドルの夜景と言われる六甲山からの夜景、六甲山もA面の神戸と言えよう。
昭和50年代~60年代にかけて全国から若いカップルが車でドライヴ洒落こもうとした地区でもある。コレもA面の神戸。
俺の家と言っても借家やけどね、3階建ての鉄骨一戸建て住宅。
阪神淡路大震災の激震地区の一つだったのでこの辺は1995年春以降に新築された3階建ての鉄骨造りの一戸建てが多い。
何故か?あの地震で倒壊した住宅は木造の2階建てか古い鉄筋住宅が多かったからだ。
鉄骨住宅はよく揺れるけど地震に強い構造ではある。
あの大災害の時に2階建てや3階建ての建物が1階分がなくなってへしゃげている家を幾つもみたけど1階にて就寝していてそのまま圧死というケースが多かったらしい。
俺の小中の同級生や東灘に住んでいた以前の仕事仲間も数人それで圧死した。
鉄骨造りが安全かどうかはわからんけど、地震に対しては強いはず。
古い学校の校舎の耐震工事にも必ず分厚い鉄骨をX字に組んで施工していますからね。
少し自宅から北に行けば幹線道路に出る。
平地で基本坂道は少ない地区であり老人、子供には優しい造りの町だ。
俺の自宅近辺、まだまだ20年前の震災の爪痕があり空き地もそこかしこにある。
この辺は火災もあった地区なのでまさに地獄絵図になった地域でもある。
俺が当時住んでいた地域は火災はなかったけど免震構造にしっかりした家以外は全壊してほぼ9割以上が潰れていた、俺の住んでいたハイツも全壊認定を家屋調査士?が判定していたがその後なんとか当時の大家が屋根や壁を修繕して、住めるようにはなったが3年前の火災により焼失することとなり、同じ地域だけどこの3年間の間に2回引っ越しを経験してかなり金を使った、、、、、もうマジで金はありません
自宅近くの廃墟の様であるが人間は生息している。
何で?生計を立てているのかわからん夫婦が住んでいたはずだ。
以前にしていた営業の仕事でここ入った記憶がある。
たぶん、地元の資産家やと思う。
俺の住んでいる地域はいわゆるゴム工場(靴の張り場)で汚い靴工場が点在していて地場産業として栄えていた。
中国製の靴が幅を利かせる前は日本一の靴の工場群だった筈。
因みに俺の母親(ヤンピー)は靴の貼り工さんをしていて全盛時毎月50万円以上稼いでいた。
父親は電気溶接工で船や原発の全盛期は月80万円以上は稼いでいた。
博打と酒と女で遊びまくらなければ家1軒は楽に建てていただろう。
どちらも猛烈な肉体労働であるが彼らの体は強靭で60代半ばまで現役で仕事はしていた。
だから俺や兄貴は貧乏長屋住まいではあったが食に困ることはなかったし、そこそこ貧乏人のせがれの割に贅沢していたかもね。
在日の人間が神戸でも全国的に観ても多い地域で在日2,3世にあたる俺や兄貴の世代の同年代の奴らは親がゴム工場の社長をしているのが多くて俺ら日本国籍の奴よりいい家に住んでいたし、又裕福な暮らしをしているのが多かった。
在日差別は俺らの両親世代はそういうやっかみもあってあったけど俺ら世代ではあまりなかったけどね、日本に帰化する奴も居たし。
逆に俺ら日本国籍が元々ある人間が在日から羨ましがられたことはある。
俺の高校時代にバンド組んだ彼氏(3人)らは俺以外ハーフと在日だったし。
因みに関係ないけど俺の地元から出た有名人は浅野ゆう子に柔道五輪ヘビー級
銀メダリスト、篠原にプロボクシング世界S・フライ級王者、ハルク佐藤が居る。
銀メダリスト、篠原にプロボクシング世界S・フライ級王者、ハルク佐藤が居る。
こういう小さな工場がいまだに散在する町でもある、俺の近所は。
昔はいわゆる此処から少し北にあがった番町地区はいわゆる被差別部落跡であり俺らも子供の頃よく因縁をつけられたりしたけど今はだいぶ様変わりしたとはいえあまり柄のいい地区ではない、最近は中国系が増えてこいつらはマナーが悪く最悪だ。
1980年代末、大震災まではこんなゴム工場が点在していてシンナー等薬剤の臭いをまき散らしていたけど震災後こういうのもほぼ皆無となる。
ミシンやら靴の製造ラインの機械の音がうるさく響いていた時期が高度経済成長後バブル以降まで確実にあったんだ。
まあはっきり言って神戸の中でも品がない労働者の町で俺の中ではお好み焼きと焼肉が美味くお好みの中でもすじ焼きみたいな町でもあるんだ。
以上、超簡単に俺が住んでいるD面の神戸地域の紹介をした。
あくまで俺の中での感覚なので間違いはあるかもしれんが俺と同世代の人間ならある程度、共通認識がある事実もあるんだ。
この曲は上品すぎるけど俺の中でのある意味俺が住んでいる町の1部分を表している。