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七人の侍

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世界に誇る黒澤映画の中でも最高峰に位置する映画「七人の侍」は1954年に公開されました。

後にジョン・スタージェスによるリメイク作「荒野の七人」が制作されるが正直比較できる代物ではないB級映画である、個人的に言えばエルマー・バーンスタインによるテーマ曲と後に大スター俳優となるスティーヴ・マッキーンとジェームズ・コバーンが出演していたことぐらいか?

本作は俺個人の中では黒澤映画の最高峰ではないが世界映画史上に残るアクション映画の名作であるとは思う。

又、本作が誕生した1954年という年はゴジラが誕生した年でもあり、水爆実験によりビキニ環礁にて第五福竜丸が被曝して社会問題となった年であり、個人的にはエルヴィス登場の1956年、ROCK元年の1965年、サブカルチャー爆発な1969年に匹敵する重要年である。

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俺はずいぶん後追いでこの名作を観たんでてっきり三船敏郎主演の映画とばかり勘違いしていたが三船は脇役で主演は黒澤映画の重鎮、志村喬である。

この映画に俺の中で嘘があるとすれば浪人侍が金目当てでもここまで七人とも勇敢であるはずがないということである。

そこはそれ映画の持つ大ぼら吹きな処でありまた痛快な部分であるかもしれないけど俺の中での武士に対する印象は全てが武士道とか、清い潔い精神なんてのがあるかもしれんがそれは一部にすぎず、逆にそんな生ぬるい精神論では戦いには勝てない、もっと狡猾で野生でかつサヴァイヴする術を知らないと敵には勝てないという持論がある。

黒澤はジョン・フォードの映画技法にあこがれを持ち映画製作をしたそうだが、この映画はリアリズムを追求したとはいえ野武士(インディアン)に対して同じ程度の武器しか持たない7人しかいない侍が勝てるわけがない。

一応いろんな策を講じて野武士退治して勝つのだがやはり無理がある。

西部劇のインディオ退治の様な飛び道具の拳銃や重火器がない限り戦いは人数が少ない方が負ける。

もう一つ、いつも収穫時期に襲われて困る農民なんだが農民自体史実で行くと武装して武士のようになるし武士の先祖は農奴である。

もともと百姓とか言われるけど農耕において手足は鍛えられているので一般の商人や工作人や武士より粘り強く身体能力も高いはずである。

勇気と気概さえあれば戦に負けない力があるはず。

だからよく安っぽいTV時代劇で農奴は意気地なしでというのはある意味史実かもしれんがそれは今でいう法律でしばりつけられていてまっとうに従っていただけと推測、全てがそうじゃないと思われる。

今でいう税金みたいな強烈な年貢なんかを課せられていたけれど、現代はその農民だった人が不動産を所有しているので土地を持っているので土地成金として成功している例はよくある。

コレは一般市民の店に頼まれてヤクザがみかじめ料として用心棒をするような構図に近い。

野盗も浪人も紙一重で一つ間違えば人を追い込み泣かす存在であることには相違ない。

だから黒澤もこの映画において正義の味方(金と食料目当ての)を皆生かしてはいない、犠牲も払わせている。

本当の話なら全員やられて野盗の勝ちとなり農村は常に野盗の襲撃におびえるとかあくまでこの戦いでは勝ったが野党の襲撃は毎年あるといった具合に。

ただこの映画で描かれている合戦シーンは白眉でチャンバラのそれではない。

刀というものは一人しか切れないし複数人切れないとか、刀は合戦の際には斬るのではなく叩く武器であるとか時代考証とそのリアリズムにおいて徹底している。

綺麗ごとでは済まされない研ぎ澄まされた鋭利な感覚とダイナミズム、スローモーションを使った迫力ある映像と人を斬る(殺める)ということは重く、そして罪深いものがある部分が世界中の映画ファンの賞賛やまぬところであろう。

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人はすべてではないが組織に属さないアウトローに憧れるもんだ。

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浪人侍とはこの映画の時代におけるアウトローのようなもの、何時の時代もそのアウトローでも人間味あふれる善意の者に憧れる。

この映画に泰然自若として常に冷静沈着にて貫禄のある7人の侍の頭領、志村喬演じる島田勘兵衛にむかーしから心惹かれる。

こういう男にはなれるはずもないが少しは男としてこういう部分は持ち合わせていたいとは思う。


世界に誇れる日本の娯楽映画の傑作と言えよう。

又こういう映画は映画館の巨大スクリーンで観ないと迫力は伝わらないとも言える。