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演歌とは日本の心なのか?



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その昔、今もそうだけど歌や映画やすべての芸術なんかで生計を立てる人間はロクデナシと言われた。

太古の昔から音というのは存在するのだがいわゆる音楽という風になって大衆娯楽となりますと一芸に秀でた最下層の人間がやるものという意味合いもある。

だから人として何か役に立つ仕事、もしくは生産していくことが尊いとされるわけで余暇の余興なんかに従事するなんてのは怠け者がするものだと忌み嫌われた。

ただ、俺もそうだし多くの音楽や映画好きはそういうロクデナシ芸能の発する芸事を観て感動したり共感したりするので、馬鹿には出来ないが特別に神格化する必要もない。

要は俺達と同じ人間で俗世界に生き、食し、排便し、なんら人間として同じことをしているんだけれど特別な特異な才能や技術、驚愕があるだけなんだ。

そういう俺の芸術に関する個人的戯言はおいて置き演歌である。

俺の中では邦楽の中では演歌というものは存在しない。

こういう呼称が一般的になったのが昭和40年代~50年代の邦楽においてレコード会社が戦略として打ち立てた邦楽の一つである。

演説歌とか怨歌というのは日本の文化ではなく大陸のモノだと俺は理解する。

したがって純粋な演歌というものはない、ようはRockなんかと同じミクスチャー音楽と言えよう、根っこは同じだが売らんがための策略か?自然発生的なムーヴメントかの違いだけど、こだわる俺からしたら非常に二者の違いは大きい。

ちょうどカラオケスナックなんかが一般化されるとともに演歌はすそ野を広げていった部分があり、他のジャンルの音楽でも演歌的とか呼ばれたりするようになったのだ。


ライムスターの宇多丸なんて人は俺は世代じゃないし、ラップやライム?なんてのはさっぱりなんでよくわからないがこの人の言っていることは、ほぼ俺の邦楽観と合致する。

日本の心なんてのは俺の中ではすくなくとも俺の世代に出てきた音楽にはない。

そんなものより郷土音楽、民謡とかにその土地土地の心が宿りしってのは常に思うわけだ。そんな国体を挙げての心なんてものは創られたものだ、逆に言えば非常に危ない部分もあろうかとは思う、ただ戦後復興のなかでこの人が果たした功績と実績、日本を勇気づけた歌唱は唯一無二で、歌唱だけでいけば世界のエンターテイナーになんらひけをとらないまさに、女王歌手ではある。

美空 ひばり - お祭りマンボ



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