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生きる



パクリ企画しりとり第3弾 映画しりとりは合計121作のノミネートがありました。




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第31弾は「生きる」です。

1952年公開の本作は黒澤明監督のヒューマニズムの頂点に立った名作と言われる。

今も昔もお役所なんてところは多かれ少なかれ事なかれ主義で不正もしたり、民間とは違うグータラな職員の集まりという印象はあるのだが、この映画でもそういう人間は多く出てくる。

この映画の主人公は市役所のさえない市民課の課長だが、本来はこれは映画の中のヒロイズムであってこんな役人は現実には居ない。

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果たして自分が末期がんに侵されると知って、余命いくばくもないからといって命がけでまして役所のグータラ課長が、一般庶民の訴えを聞いて子どもたちのために公園建設に尽力するだろうか?

昔から当然、こういう土地絡みの問題とかは役所のハンコがいったりして大型施設が出来たり、商業施設が出来たりするわけだが公園なんてのはなかなか収益のあがるモノではないので、国有地なんかも利権絡みもあったりして民間に譲渡して商業施設になる処もあったりする。

だけど俺の地元でいえば阪神大震災以降、壊滅状態になった公園や甲子園高校野球の地区予選をしていた球場や屋外プールやテニスコートはバブル以降、採算が取れないというのもあってなくなり今は大きな公園になったりしている。

おそらく法律で幼稚園、小学校が近隣にある場合とかは商業施設や風俗営業(飲食店含む)などは禁じられているだろうからだ。

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この映画の舞台となった街の空き地はどういう経緯かわからんがまずもって市民課の課長クラスが命がけで頑張っても、まず公園を建設するのは難しいとは思える。

しかしながらこの映画のさえない主人公は、利権にからんだ地元の政治家や雇われヤクザの脅しにも屈せず、公園建設を実現させる。

その動機が今もってよくわからないんだが、あるとき志村喬演じるさえない課長がなかばやけくそになって、なれないパチンコやストリップ小屋に行くがむなしいだけ。

転職を希望している部下の若い女性が役所仕事があまりに単調でつまらんので玩具工場で働く予定にしており、偶然彼女と街であって食事を数度ともにする。

なーんもつくりもしない役所の仕事なんかより何かを創る仕事の方が遥かに楽しいわよ、なんて奔放な彼女の生き方に心動かされた彼は私みたいな人間でもなにか出来るかもと公園建設に尽力するのであった。

公園建設が終わりその出来立てのブランコに乗りながら息を引き取る。

その後、渡辺(志村の役名)の通夜が営まれるがあまり同僚、部下からは生前の様子を語られるのだがそれが最初はあまり芳しいものではないのだが、一人の部下がどれだけ彼が血眼になってあの公園を作りあげたのかあんたたちはわかっていないんだ!という風に憤怒すると、その後嘆願書を持ってきた子どもたちの母親を中心にどっとその通夜に参加させてくださいということでこの映画の一番、クライマックスシーンとなる。

渡辺死後、また市民課では新しい課長の元、渡辺を褒めていた部下や同僚もたんたんとお役所仕事をしている、公園では元気に子供がブランコやらに乗って楽しんでいる。

この映画を通して言いたかったことは実際にこういうことは出来はしないが、お役所仕事するならするで、上から目線の官僚的態度はやめてくれということなのだろう。

俺の叔父が名画というのはいつの時代に観ても共感できるものが名画なんだみたいなことを生前言ってたけど、この映画なんかは永遠にいろんな意味で共感出来て残るモノであると俺は何度か観て常にそう感じている。