気ままに気楽に

今日も息をしています

大巨人 人間山脈 アンドレ・ザ・ジャイアント


1980年代前半の新日本プロレスはあらゆる要素が備わっていて最高の最強のプロレス団体でした。

まずはタイガーマスクを中心としたJ・ヘビー級の抗争でちびっ子たちのハートを掴み、若手のUWF勢

とはイデオロギー抗争を起こし、旧来のプロレスファンと新しいプロレス・ファンを熱狂させた。

長州と藤波の同世代の覇権争い。

そして外国人勢はハルク・ホーガンアンドレ・ザ・ジャイアントなど超大型レスラーとのエース猪木との対決。

特にアンドレとかホーガンに関して言えば、ライバル団体全日本プロレスにかなり意識して対抗していたと思う。

元々、日本レスラーで大型選手が少なく猪木もJ・ヘビー級といっていいほど体格はさほど大きくない。

一方、全日といえばエースのジャイアント馬場ジャンボ鶴田を含め日本勢が外国勢をしのぐぐらい大きかった。

猪木は自分の体格はこれはどうしようもないんで、対戦相手を超大型選手にして撃破するという暗に俺は
馬場や鶴田より強いんだよってアピールしてるように見えた。

で、アンドレなんですがしっかりレスリング出来ています。

うまく猪木に投げられてますね。ただピンフォール負けだけはプライドが許さなかったそうです。

猪木側はかなり試合展開で無茶な注文をしたそうな。本気出されたらボロ雑巾のようにやられるやろうなあーと当時観てましたね ♪