気ままに気楽に

今日も息をしています

爆裂都市

 
1982年に公開された映画『爆裂都市』はいわゆるジャパニーズ・パンク・シーンの一つの頂点を迎えた記念碑的作品だと思います。
 
正直、音楽映画というと1960年代はウッドストックが1970年代はラストワルツやさらば青春の光と海外のモノでエポックな作品があってその時代にティーンエイジャーだったり実体験した人間たちにとってはある意味誇れる映画だったと思うのだ。
 
ただアンダーグラウンドではあったかもしれないが邦画でそういう音楽映画ってあったのかいな?と思うと疑問符が付きます。
 
この映画も決してオーヴァーグラウンドではなかったのですが当時の私の回りやパンクスの間で話題になっていたしこのOPに登場するバトル・ロッカーズ(ルースターズロッカーズ)の連中の佇まいは演奏の上手下手は別にして非常に熱のあるビート感の溢れるロックンロールです。
 
個人的にはいささかメチャクチャですがROCKを扱った劇場用邦画の最初期の1本だと思います。
 
正直、陣内孝則はココが一番頂点で最高に良かったと思います。
その後の彼の芸能人生は付けたしみたいなモンだとキメウチします。
ただ彼氏がロッカーズ再結成してそこそこイカしたLIVEを今後すればこの発言は取り下げます。
 
この映画公開後、THE STALINが神戸初上陸するのですが非常に危険なLIVEでした。
会場で暴れまくっていたPUNKSの中に後にハードパンクで少し名を売った連中もいましたね。
 
ミチロウのアジテーションに対して愛情のボディブローを叩きこむ奴もいました。
 
後に宝島誌にて遠藤ミチロウがこの神戸のLIVEの熱気は当時のどの会場よりも凄まじかったと述懐した事もありある意味伝説のGIGでした。
 
LIVE会場を出た後に私達はとある喫茶店に入るのでですがもう鳥の内臓を頭からぶっかけられてる友人もいたので匂いがとれずそいつは上半身裸になってビールを煽ってましたね(笑)
 
このLIVEの衝撃がそのまま焼き付いて学校中退して東京の中野に単身半ば家出する形で移住してパンクバンドを結成した裸になった奴の友人もいました。
 
とにかく1982年の暑い夏というかこう暑い時期になると思いだされるのがこの映画であったりTHE STALINの神戸初上陸の衝撃でしたね。