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初の黒人世界ヘビー級王者   ジャック・ジョンソン

ジャック・ジョンソンっていってもサーファーでミュージシャンの男ではない。
 
ボクサーのジャク・ジョンソンのことである。
 
19世紀後半から20世紀前半にかけてベア・ナックル(素手)で決闘からスポーツとしての興行として成り立っていた30年間がいわゆ近代ボクシングの原点であるといわれる。
 
19世紀半ばのボクシングはそれこそ首締めやらなんやら反則だらけで42ラウンズ闘ってドローであるとか公然のリンチに近い試合でリング禍が起きたりもちろん非合法の娯楽であった。
 
そこに英国のクイーンズベリー卿の指示によりグローブをはめた拳だけに限定したクイーンズベリー・ルールの導入、1Rを3分に定める事により一挙にボクシングは近代化することとなる。
 
ただルールがほぼ現代ボクシングに近付いたといっても基本的には世界選手権レベルでもまだまだ荒野の決闘のごとく両者が足をとめて打ち合い、耐久力のある方、パンチングパワーのある方が勝つというまだまだ技術的には未熟な格闘技だったことは否めない。
 
1908年に黒人初のヘビー級王者になったジャック・ジョンソンはそのボクシングにフットワークと左ジャブを持ち込んだ選手である。映画『史上最強のボクサー・ジャック・ジョンソン』でも描かれている通り彼は激しい人種差別に会い1915年白人の2メートルホープ、ジェス・ウィラードに敗れるまでの数年間、白人の妻とヨーロッパ・ロシアに逃亡していたくらいなのだ。
 
とにかくこの時代奴隷解放令が出て黒人たちが元気になった時代だが、保守的な白人層の人種差別が凄まじく、後にビリー・ホリディの歌で有名になった『奇妙な果実』があちこちの木にぶら下がるといった猛烈な黒人狩りとKKKの暗躍により世界一強い男もいつ不意打ちを喰らって絶命するかもしれない時代である。
 
しかもこのジョンソンの戦いぶりがプロモーターが送り込む白人のホープをいつでもKO出来るのにわざと立てるくらいのダメージに抑えてなぶり殺しのサンドバック状態にしてじわじわKOするスタイルがより白人の憎悪を掻き立てたのである。
 
実際ジェス・ウィラードに負けた試合も八百長試合といわれることがあるくらい20世紀初頭の地上最強の男だったのである。
 
それでは彼の映像を観ていただこう。映像が古いので動きが分かりつらいですが間違いなく他のボクサーの動きとは明らかにシャープで段違いに違います。