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飛龍革命   天龍源一郎

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ワタシが考えるにプロレスってジャンルを考えたときに幾つかの全盛期といいますか熱い時代があったように思えます。

一つは日本プロレスの始祖、力道山が海外からこのジャンルを輸入してきてTVの前で外人レスラーをバッタバッタ倒していった1950年代半ば、力動亡きあとジャイアント馬場全盛時代の日プロ時代の60年代後半から70年代前半、アントニオ猪木がプロレスこそすべての格闘技で、最強であると神話を作った70年代半ば~80年代等、それぞれが又日本の時代を写す鏡の様な処がありまして、力動の時代はもう戦後の焼け野原ではない、復興の時代、馬場の時期は高度経済成長真っ只中、猪木の時代は学生紛争や反逆の闘争の時代と、それぞれの特色がありました。

その後の世代、ジャンボ鶴田藤波辰巳長州力天龍源一郎なんかは俺たちの世代って処で年代で行くと学生運動の時代に青春を送った世代なので鶴田と藤波はそれぞれが全日、新日のエース路線に乗っかって団体が売りだすベビーフェイスだったので、当然日本のレスラーの対抗馬が必要になります。

その対抗馬が全日では天龍で新日は長州であったと思います。

強豪外国人が来襲すれば共闘してタッグを組むが、シングルではお互いライバルでしのぎを削るといった具合に。

プロレスという格闘競技はその成り立ちからして、やたら大相撲からの転身者が多いのですが成功したのは力道山とこの人だけだと思います。

大相撲出身者でそれこそ横綱まで昇り詰めて、鳴り物入りで転身した選手に輪島や北尾、曙なんかが居ますが全員失敗しています。いわゆる体全体の強さがあるのだが格闘技に求められるスピードやスタミナが失敗した人たちには欠けていました。

天龍はそうスピードがあるわけではないですけど、でも相撲の世界では幕内まで行かず?成功できなかった分一生懸命プロレスに打ち込み、プライドもかなぐりすててトップレスラーになるんだ!って気迫みたいなモノがあったと思うのです。コレは一般社会で生活してる我々男女にも新しい環境になる際にある意味、大事な心がけではないかと認識します。

この天龍や長州ってやたら革命ってフレーズが好きでテーマ曲もプログレのバンドの曲やTECHNO、フュージョンを取り入れている部分なんかも見ますと、旧来のプロレスを変えてやるんだって意気込みを感じます。

丁度、この人が一番人気があった時代が1980年代後半~90年代前半であったと思うのですがプロレス界も激動の時代で、ファンも誰が一番ガチで強いのやろうって論争があってUWFの前田、全日の鶴田、シューティングの佐山等等、論争がありましたけど天龍もその中の一人に挙げられた一人でした。

時はバブルの時代でメガネスーパーがSWSって団体を立ち上げ、天龍をエースに仕立て上げようとしましたが素人ばかりがSTAFFに多くて、プロレス特有のドラマツルギーを構築できず2年持たずして崩壊します。

天龍はその後WARという団体を立ち上げて、独自のプロレスを展開します。
あまり攻防のはっきり分かりづらいUWF系の格闘プロレスでもなく、新日や全日とも違う受け身をしっかり取って相手の技を正面から受け止め、コッチも正面からガッチリプロレス技を繰り出していく王道の激しいプロレスです。

当時、仕事仲間で知り合った元ウェルター級のプロボクサーがこのWARの道場で、その練習やら実際にお遊びで天龍とスパーしたそうなんですが当たり前の話、天龍はオーラがあってどこから攻撃してもびくともしないような威圧感を感じたそうです。まあ体格が違うしジャンルも違うので単純比較は出来ないですが元プロボクサーの中量級でデトロイトに一人旅していた時に、クロンクジムの人間に呼び止められてジムで黒人ボクサーといきなり、スパーリングさせられたって経験を持つ、元プロが言うのだからガチで強かった人だと思います。

プロレスの実力は素晴らしいのですが経営者としての才覚はなく、WARも解散して今はフリーのプロレスラーとして還暦を迎えても熱いファイトを展開する天龍には感心させられるばかりです!!