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ファンタスティック・プラネット

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ファンタスティツク・プラネットは1973年にチェコスロバキア、フランスの合作映画として監督・脚本ルネ・ラルーで公開された作品です。

当時、欧州ましてアニメーションなどの評価のまるでされない時代にこの映画はカンヌ映画祭特別賞を受賞している。

ワタシ、昔にこの映画を断片的に観た記憶があって以前から又観たいなあ~って思っていたのが先日某有料放送で放映されていたので録画して観ました。

お話の方は原作がステファン・ウルの小説「オム族がいっぱい」を下地に巨大生物に支配された惑星の出来ごとを描いています。

巨大なドラーク族に支配された惑星が舞台で、ココでは人間はゴキブリ並の扱いを受けている。

人間の赤ん坊テールはある日、ドラーグ族の娘のペットになる。

やがて成長した彼はドラーグ族が高度な学習をするリング状の機械を盗んで逃亡し、人間たちが多数いる集落に行きそこでこの学習機を利用して、ドラーグ族に抵抗を試みる。

ドラーグ族の造形であるとか集合体の理念、定期的に清掃と称して人間狩りを行う残虐性、永遠の魂と生命を維持するためのシステム、虐げられている人間の中にも野蛮な連中とそうでない穏健派と居て対立していたり、又様々な奇妙な食中植物や動物など、オリジナリティー溢れる造形と世界観は、驚愕で宮崎アニメにも相当、影響を与えていると思われる。

又バックでかかる音もプログレッシヴで幻想的なモノがかかり、雰囲気としてはジェネシスの怪奇音楽骨董箱を思わせる雰囲気もある。

単なる単純なアニメーション映画の枠に収まらない、人間とは?世界とは?神とは?争いとは?差別区別とは?と色んな深い事を考えさせられる傑作映画であると個人的には思う。

因みにワタシは宮崎映画をほとんど評価しない。

模倣が多すぎるし、又古書店に勤めていた時ビデオはよく売れるのだが関連書籍はまるで売れなかったからだ。

本当のいいものは映像が主であれ活字や書籍になっても絶対売れるものだという自分の中での絶対感覚があるのだがソレでいうと宮崎アニメのほとんどは自分は評価できないのである。