気ままに気楽に

今日も息をしています

白痴

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1951年に黒澤明が発表した問題作で彼氏の唯一の松竹配給の映画だった様な気が?します。

この映画はおそらく東宝ではボツにされて通らなかった企画だと俺は妄想する。

現在というのは非常に言葉に対しての禁忌というのが増えまして、自主規制も含めると使えない言葉が多数ありますが、この映画の題名もそのひとつであろう。

昔は白痴美人なんて絶世の美女を表現するのに合致した言葉がありましたが、現在は死語になり個人的にはこの映画に出演する久我美子なんかが映画の主題とは別にあてはまるような気はするのだ。

元々の原作はロシア文学ドストエフスキーのモノなのですが舞台を昭和20年代の札幌に置き換えている。

北海道という日本の中でもよりロシアに近い文化圏?にあるこの地区というのは大相撲の偉人(大鵬千代の富士北の湖等)や高峰秀子のような関西弁をベラベラに発音できる大女優が出現した処でもあり、個人的にも非常に興味深い日本の地区である認識があります。

そしてあくまで自分のイメージとしてこの映画もそうなんですが白樺の林が多く、どこか幻想的な世界観がある地区でもある認識であります。

沖縄から復員してきた亀田(森雅之)は戦犯として処刑されかかったのだが人違いと判明したため釈放される。

しかしながらその時の地獄のような拷問の後遺症として癇癪性の白痴にかかってしまったのだ

青函連絡船の中で故郷に向かう船中の中、赤間三船敏郎)と軽部(左卜全)と意気投合する。

軽部は亀田が札幌の大牧場主、大野の親類だということでペコペコし、赤間が札幌の大金持ちの息子と知り驚愕する。

赤間は政治家東畑の囲い者、那須妙子(原節子)にダイヤの指輪を贈ったことから父から勘当されたのだがその父が逝去したので家に還る処であった。

一方、亀田は札幌に着いてとある写真館に飾ってある妙子の写真を見て心奪われ、一目ぼれする。


そして実は大野(志村喬)は戦後のどさくさにまぎれて亀田の父から財産や土地を横領した形だったので狼狽する。

で、その娘の綾子(久我美子)は亀田を心の底から愛している。

そんな若い男女の4人のトライアングルというかすれ違い、おそらく情婦を演じるのがコレが最初で最後の原節子の名演とともにこの映画は激しい情念と憎悪とむき出しの人間性ドラマを重厚に扱ったフィルムで、一説にはz前篇後篇として4時間25分の長尺だったのを松竹首脳陣が難色を示し大幅カットした本編は2時間46分のモノが現存するだけで、他には3時間30分のモノが東劇で3日間だけ公開され、又黒澤はこの松竹のカットに激怒、フィルムを縦に切れ!という名言を残し自殺未遂も敢行した、彼氏の渾身の力作である。

俺の勝手な妄想だが、愛憎渦巻く人間ドラマなら成瀬巳喜男新藤兼人だろうと言う映画ファンに対しての黒澤なりの返答であり挑戦であったのではないか?と仮説をたてたりするのも面白かったりする。