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今日も息をしています

原子力戦争 Lost Love

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この映画は1978年にATG製作で公開されました。

原子力発電所に関して言えば、俺の場合複雑な思いがありましてこの映画の記事の前に俺の原発に対しての考えを述べてみたい。

ソレは別に原発の功罪を言うわけではなく、俺と原発との関わりの話なので市民運動とかされている方は見当違いなんでイデオロギー的なコメントは避けて頂きたい。

大袈裟な命題ですが俺が一応、高校から3流私大を卒業して今はろくでなしになっているが、その一番教育費がかかった時期に両親、特に俺のオヤジはしゃにむに働いて俺を学校に行かせてくれた。

その事に関しては今も感謝しているし、存命の間に何も孝行を出来なかったので悔やまれるから、母親孝行(熟年離婚したが)だけでもしたいとは思う。

この原発ってのが建設ブームだった頃(1970年代後半~80年代)に俺のオヤジは溶接工として全国の原発の配管溶接の仕事をして荒稼ぎしていました。

時はバブル前夜からバブルの頃で、まともにオヤジがお金を残していれば家の2軒は建てていたと母親が述懐するくらいだから相当稼いでいた筈だ。

俺の一番、お金のかかる時期にオヤジが死に物狂いで稼いだ仕事場が原発でそのおかげで俺はパープリンながら最高学府まで一応行けたわけで感謝している。

だからといって原発を肯定するわけでもないが、この施設を作るのにあたって、国や地方財政、そこで働いていた労働者などに膨大な利益を生み出したのは想像にがたくない。

亡きオヤジが生前、原発の中身の説明を俺にする時に、アレは俺は思うに有事の際に姿を変えて軍事施設になるぞって言っていたのが忘れられない。

何が言いたいかと言えば物事は多面性があり、推進する側はもちろん反対する側も利があって動いている(すべてではないが)と思うわけだ。

で、この映画はまだバリバリにとがっていた頃のジャーナリスト、田原総一郎の反原発小説を監督、黒木和雄が主演に原田芳雄を迎えて製作したドキュメンタリータッチのサスペンスである。

この映画の新聞記者役の佐藤慶は田原自身の立場だったのかもしれない。

若い男女の心中死体が浜に打ち上げられた。

男は地元の小名浜原発の技師、女は地元の漁協組合の実力者、青葉(石山雄大)の妹のぞみであった。

こののぞみはいわゆるパンスケで東京でトルコ嬢をしていてチンピラヤクザのヒモの男(原田芳雄)がついていて、法事の帰省中に起きた事故である。

だがヒモであった原田はどうにも腑に落ちないし、のぞみの家柄がしっかりしているということもあって、小金をゆすろうとたくらむ。

そういう中、原発の危険性を告発しようとした新聞記者、佐藤慶と知り合った原田は心中相手の技師の嫁の山口小夜子の家を訪ねる。

このシーンが山口の持っている雰囲気なのか何か?凄い幻想的(実際は普通の画面)な感じが自分はした。

またその前にチンピラの原田は青葉の家にも生き、のぞみの妹つばさ(風吹ジュン)にちょっかいをだしつつ真相を聴きだそうとするが兄の石山が追い返す。

技師の未亡人、小夜子から証拠書類を預かり、その技師が最後に会ったのが原発の労組委員長の小林であったと告げられ、彼を呼び出したが何者かに襲撃に会い小林は首つり死体で発見される。

原田は怖くなり証拠書類を佐藤慶に渡し、佐藤は原発の所長に事故の発表を迫る。

しかし支局長・戸浦六宏にこれ以上、突っ込むとクビにすると言い渡されるが、高名な科学者、岡田英二に事件の告発を要請するが、彼の答えは「そういう告発をして原発開発を中止にして国民をパニックに陥れる方が危険」と断る。

俺はこの岡田の言葉にこの国の国体の集大成を見たような気がしてなんともどんよりした気持ちになったもんである。

結局、技師は原子炉がメルトダウンを起こしかけない事実を告発しようとして闇の勢力に葬られたのだ。

のぞみは単に心中に見せかけるために巻き添えを喰らった形となったわけだ。

そして、原田芳雄ふんするチンピラはのぞみの仇をとるための兄を襲撃するがその後、正体不明の男供に囲まれ、果たして・・・・・

佐藤慶は現地妻・磯村みどりの身を案じ、この事件から完全に手を引く。

科学者、岡田英二は情婦の山口小夜子とともに東京に還る。

山口はいわば原子力を推進する側の女スパイであり、技師を実は常に監視していたのだ。

全篇に通じるこの映画の諦念感というのは国家というものがいかに巨大でかつ俺ら個人レベルのお呼びのつかない処で動いている陰謀などが現実に存在するのではと考えさせられた映画ではあった。

個人的には非常にデリケートな内容の映画記事なのでコメントは承認制にします。