気ままに気楽に

今日も息をしています

味のれんが横丁

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先日、薄給ではあるが泉谷の曲やないけれど、給料日と休みが重なったので家賃、車庫代、その他生活費の支払いを済ませた後に30年ぶりにこの味のれんが横丁に寄ってみた。
 
ココは新長田駅前ビルという地下3階、地上6階?だったかな。地元西神戸の方ならよくご存じでしょうが1979年に神戸市が初めて地下鉄を開通させ、三宮~須磨の名谷って処まで開通した途中の駅にJR新長田駅と地下で繋がる仕組みにした複合施設になり、全盛期にはかなりの乗車利用があった筈でそこそこ賑わった界猥だったのだ。
 
俺もバンド仲間が須磨の白川台って不便なところに住んでいたのでこの地下鉄をこの駅から利用した事がよくありました。セイガク時代ね。
 
でココは鉄人28号のモニュメントがある東北に位置する小さな商業地なのだが、1990年代半ばまでは半径500m地帯にパチンコ屋が7軒、いやもっとあったかもしれない西神戸でいうと新開地の次に賑やかな街で新地(梅田の北新地を模してね)って呼ばれる庶民のオヤジが飲む飲み屋街も多い神戸の中でも結構大きな商業地だったので猥雑な雰囲気もあったが面白いある意味、上品な神戸ではないどちらかといえば品の無いだけど飾らない下町の飲食街が多く軒を連ねていたが、21世紀に入って以降か?大震災以降は寂れる一方の我が地元の街なのである。
 
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地下2階に降りますと、地下鉄の改札があるのですがソコに向かう地下道ぞいにこういう露店に近いカレー専門店がありまして俺はココは開店当初からよく食べに来ていました。
 
未だに店があったのが嬉しかったなあ~、、、、少し規模は縮小して昔は通りにもテーブルを置いていたりして従業員も雇っていた店で昼の1時になってもお客さんで一杯の評判のカレー店であった。
 
俺が神戸で個人的に好きなカレー店がココとJR六甲道にある濃いくちカレーを食せる小さなカレー店の2店なんだ。
 
未だNETが発達していない時代に三宮で評判のインド人が経営してる本格店や元町にある全国のカレー好きが一度は訪れると言われる100倍までの辛さが選べるカウンターだけの店はあまり興味がないというか俺の味覚にあまり合わなかった記憶があるけれどせっかく全世界に発信してるこのブログというツールを使って、今後紹介はするかもしれません。
 
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のれんをくぐるとほぼ30年前と同じ作りで変わっていなかったな。最初にビーフカレーのサラダセットを頼んだけどお腹ペコちゃんだったのでカツカレーのセットに変えた。
 
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まずはサラダが先に出てくる。順番が逆ではなくてサラダを食べて食の通りをよくしてからカレーを食べるのが、健康にもよいとされている食しかたってどこかで聞いた事あるのだがその通りだろう。
 
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カツカレーの登場だ。画像にはないけどスープもつく。因みに卵は無料で黄身だけか全部か選べるので当然全部を選ぶ。昔はこの店はボールに好きなだけどうぞ!って感じで生玉子をそのまま置いていて自由に取れたように記憶する。
 
味の方は最近流行りのチェーンと違い濃厚ななかにもさっぱりした食感でなんとも表現出来ない味なんだが30年ぶりに食べていささかも味の方は変わっていなかったのが嬉しかった。
 
俺がココでよく中高時代に親しかったダチ公と食べていたらよく兄貴と遭遇したもんだった。
 
兄貴は今でこそプーな奴だが関西でも一番人気の私鉄の車掌をしたりして稼いでいてこの地元で暇な時間はパチプロとして又、やくざ者よりいかつい若者として闊歩していたのでよく5千円(この当時の5千円は値打ちある)くらいポンと俺にくれてダチ公と飲み食いしな!ってよく奢ってもらった。
 
時代もまあ全国どこでもイケイケどんどんの時代だったろうが、神戸はポートピア81って博覧会が大成功に終わり、株式会社神戸と異名をとるほどに全国にその経済都市ぶりを見せつけた時期でもあり幸せな時代であった。
 
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カレー店の隣の店は昔は讃岐うどんを地元でも一番旨く食せる店であったのだが中華料理屋に変わっていた、、、、少し残念だけど今度この店も入ってみよう。
 
ゆずの効いただしが最高に美味し店だったんだけどなあ~、、、、そしてこの店の横が洋食を食せる欧風レストランで俺の中高のダチ公が二人アルバイトで働いていたんだけどよく通ったなあ~、勘定まけてくれるし有線は俺ら向けにRock系やブルーズ系を流してくれるし、一度両親を連れて行ってグラタンとか頼んだり(もちろんサーロインステーキなんかも)したけど昭和1ケタ生まれの両親がその食べ付けない欧風料理を食べながらお前の味覚はしっかりしてるって言われたのはメチャクチャ嬉しかった。昭和20年代~30年代にモボやモガって言われた世代にひいき目とはいえ認められるのは昭和の男として嬉しいもんやった。
 
ただその欧風レストランは消滅し地下鉄の定期券売り場になっていた(涙)
 
前述のカレー店の女主人も当時40代くらいで若く美人でしたけど白髪が目立つ初老の姿になっていたけど、30数年ぶりに食べに来たんですよって言ったらホント嬉しそうにしていました。
 
なんとかかんとかこの体裁でやっています。この間も20数年ぶりってお客さんがいましたよ。ホント嬉しかった。
 
心なしか女主人の眼に涙の様なモノが見えたような気がした。。。。俺もちょっと泣きそうになりました、、、、、940円でこんな幸せ感を味わえたのは収穫だし、別にレトロに浸るわけじゃないけど今後も俺が若い頃に散策した街を出来るだけ歩いて今の空気を味わいたい。
 
ちょっとこの記事を書いていて村上春樹の小説「1973年のピンボール」の情景が思い浮かんだ、あんな洒落た感じではないけどね実際は。
 
 
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