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今日も息をしています

砂の女

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子供の頃に怖い昆虫類の代表格として、カマキリやヒル(コレは昆虫ではないが血を吸う)がありましたがこのアリ地獄も相当に怖い怪物的な昆虫でありました。
 
 
実際に野生のコイツの実物ってあまり見た事は少なかったけど、、、、、コイツの獲物の捕獲の仕方が残忍でかつ容赦ない姿はカマキリのメスが産卵する前にオスを食い殺す残忍さに匹敵かソレ以上に感じた記憶があります。
 
1964年に公開された映画「砂の女」を多分?むかーしに子供の頃TVで観た記憶があったのですが改めて映画を再見してこのアリ地獄を思い出しました。
 
人間や多くの自然生物にとって水と砂は生きていくうえで絶対不可欠なモノであり、砂を使ってろ過をして雨水や海水や川水をうがい、もしくは飲めるレベルに持っていく古来からある砂でろ過するシステムというのは人類史上においても最大の発明の一つだと俺は考えます。
 
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安部公房原作脚本、勅使河原宏監督の1964年発表のこの映画は不条理劇の金字塔であると自分は思う。
 
今、昨年2012年は日本は年間自殺者3万人を大きく割って2万人台になりその点では世の中的にはイイ傾向に向いているのかな?とは感じるが失踪者の数ってどうなのかな?この映画の舞台のような砂丘の村ってもし存在していたら生き地獄である
 
昭和30年のある日男(岡田英治)は趣味の昆虫採集が高じて新種のハンミョウを探しに小旅行に出かけ海岸からバスに乗り砂丘のある村があるバス終点に着く。
 
そこで漁師らしい老人にその部落の中のある民家に滞在するように言われる
 
男は言われるままに、その民家に滞在するがそこは砂掻きに追われる寡婦岸田今日子)が住んでいて毎日毎日、砂を掻いては村の他の部落の男手に縄梯子に上部に持ち上げてもらう繰り返しである。
 
実はこの村の1軒1軒が砂に覆われていた穴状の処にあり砂を取り除かない限り、埋没してしまう恐れがあるので常に女は砂を掻きその砂を地上に供給する代わりに水を配給してもらっているというシステムで社会主義にも似た村長をトップとした支配体制になっていたのだ。
 
男は当然、普通のサラリーマンでありこんな狂気の世界におれる筈もないので地上に脱走を試みるのだがそのたびに村民に取り押さえられ、女の居る処に戻されるのだ。
 
ある脱走の際にたまたま砂地にある水でおぼれ死にそうになったことから溜水装置を発案し、コレが成功すれば砂を掻かなくてもいいし、ココで暮らすのも悪くはないなあ~と思い出す。
 
そしてとは言っても30代の若い男女が何もない砂だらけの生活で掘立小屋で生活するとなると自然と性欲も生まれてくるということで二人は熱く結ばれ女は子宮外妊娠し瀕死の状態になり村の病院に運び込まれる。
 
縄梯子がそのまま放置されている状態なので又脱走のチャンスでもあったが、男は脱走は溜水装置のアイデアを村の人々に説明してからでもいいかと呑気に考えるようになる。
 
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7年後の昭和37年に男の妻の申し出により、家庭裁判所民法第30条に基づき、男を失踪者と審判を下し、死亡認定がされるのであった。
 
 
映画のシーン全体に溢れる独特の浮揚感と不気味な質感は他を寄せ付けない圧倒的映像である。