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今日も息をしています

心に残る名曲第15弾  萩原健一 テンダー・ナイト

 
俺にとって1985年という年は特別な年である。
 
40年来の関西在住トラキチの男であるが阪神タイガースが初の日本一になった年で周りの友人たちも圧倒的にトラファンが多かったので、優勝が決まった晩にたまたま俺と後にバンドで一緒に遊ぶダチ公(ギター)と一緒に心斎橋にナンパでもしようかと繰り出していたら優勝が決定したらしく、いわゆる道頓堀川にかかっているナンパ橋の付近から物凄い歓声が上がり、商店街を練り歩いていた俺たちも商店主たちが鑑割りした振る舞い酒を飲んだ記憶がある。
 
ホントに優勝まで長い道のりで俺たちが物心ついた頃から野球と言うジャンルは読み捨て虚人軍(軍ってのがポイントね)が優勝するか当時は広島東洋カープや阪急ブレーブスが全盛時代でとにかく地味に強く、今以上に野球に興味がない元草野球少年であったのだ。
 
その後、日本一にもなるのだがあの時のチームの強さとファンの熱狂度は凄まじかったね、まさに奇跡が起きたって感じで。
 
なにかとこの時代は関西が主役でもあった。
 
グリコ森永事件、金のペーパー商法永田会長刺殺事件、山一抗争って今じゃ考えられんくらいサブカルてんこ盛りな関西POWER溢れた時代でもあったわけだ。
 
そこで関西を象徴する野球団、タイガースが日本一で締めくくるというのも狂喜乱舞した1年にふさわしい幕引きでもあった、一方で日航ジャンボ墜落事故と言う日本史上最大の航空機事故(諸説色々あるが)という大悲劇もあった。
 
その中でその熱ーい85年の夏に俺は生ける伝説を間近で目撃したんだよな。
 
大阪城野外音楽堂萩原健一のLIVEを初めて観に行ったんだけど、そんなに期待していなかったんだ、最初は。
 
そしたらショーケンこと萩原がステージに登場したとたんに会場はヒートUP!!俺はひな壇式になっている会場の後ろの方の座席だったんだけど、警備もゆるくて(多分、萩原サイドが許していたと思う)最前列オールスタンディング状態で約2時間のLIVEを堪能した。
 
真夏でその日の昼に須磨海岸で日光浴してから観に行ったので、肌がヒリヒリして痛ーい上にマヌカン姉ちゃんが胸を押しつけるだけではなく爪でひっかいて、ショーケンって叫ぶものだから悲鳴を上げたよ
 
この凄いナチュラルな異様な盛り上がり方はPUNKに匹敵かソレ以上だった、、、、、The Stalinや非常階段、The Mods、ANARCHYも凄まじかったけど、、、、、このカリズマと井上尭之は真に真に凄かったなあ~、、、、、
 
ワタシは、、、、デビュー期からずっと好きなのよ~!!って絶叫している当時の妙齢の女性(この人他のLIVEでも目撃されている多分?ファンの中の有名人)が居たけれど、、、、、GSの全盛期のLIVEの熱狂ってこんな感じだったのかとも妄想する。
 
そういう処で俺の中で深ーく刻まれたLIVEの一つでありこの時期のショーケンはまさに完全無敵の状態であったのだ!!
 

萩原健一 テンダー・ナイト  ♪