気ままに気楽に

今日も息をしています

あの夏一番静かな海

恋愛に言葉はいらない。
 
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1991年に発表された北野武の3作目。
 
過去2本の映画では北野映画にありがちなヴァイオレンス(刑事、やくざ、無軌道な若者等)を取り扱った題材であったが3作目は純愛映画。
 
俺はこの映画の事を映画好きの友人から聞いた時に、劇場で観なくていいというより北野に純愛映画なんて撮れる筈がないワイとまるで興味がなく、ビデオ化されてから劇場で観たその友人が泣けたと熱弁するのでしぶしぶビデオで観たのですが泣けました
 
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この映画の主人公は身体障害者でいわゆる聾唖者である。
 
だから極力、台詞が少ない。
 
台詞が少ないという事はそれだけパントマイムではないんだけれどよりその心象風景なんかは映像や役者の表現力が要求されるんだろうけれど、そういうのも逆に排除していて演技指導なんてほとんどしていないように思う。
 
俺が勝手に思うにこの主人公の男女はこの映画を撮る時点では素人みたいなもので極力、自然にふるまう様にしたように思う。
 
昨年、CS放送にて北野映画全部見せますって特集で、浅草キッドがこの映画で主演した真木蔵人のインタビューしたんだけれど、適当にたけちゃんマンがそこ歩いてとか、適当にサーフィンしててとかそんな感じで衣装もいつも着ているのでイイよ~とかそんな感じだったそうだ。
 
真木の相手役の少女もこの映画をあとにして芸能界を引退している。
 
 
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俺は公立の小学校や中学を出ているんだけれど、小学5年くらいの時に聾唖の同級生が転校してきたけど(多分俺らより3歳くらい年上)、いかついけれど優しそうな男だった、会話するのに手話とまではいかないけれど簡単な意思疎通は出来たんだけど、込み入った話は出来なかったのは俺の手話とかではなく表現不足だったかもしれない、、、、、そういう少年時代もこの映画を観て懐かしかった、、、、あの彼氏は今頃どうしているだろうか?
 
耳が聴こえないという以前に今も昔もだけれど感覚的なモノは言葉なんか要らないんだよね、触覚だけでいいんだ、説明なんて必要ないんだという事をこの映画を観て痛感した。
 
実際に五体自由な(不完全だけれど)自分が言うのもなんだけれどそういう感覚になったのは事実でこの映画を起点としてより北野武は映画監督として世界に認められる作品を出し続けるような瑞穂になった記念碑的映画であると勝手に私的考察しています。