気ままに気楽に

今日も息をしています

今週のニール・ヤング  Unknown Legend

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個人的には収穫の秋に心地よい曲。
 
俺は自身、非常に了見の狭い小さい人間であると自覚している。
 
いわゆる器というものでしょうか?小物もいい処でチマチマした庶民生活を送っているわけだ。
 
そういう小市民の小さい人間でも金は少しかかるけれど比較的、安価で楽しみや喜びなどを手軽に与えてくれるのが音楽や映画であり、俺の場合とくに重要。
 
20代前半の一時期、まったく無気力になり無趣味、無感動人間になって風呂に入って体を洗うのも面倒で不潔で心も荒んだ時期がありました。
 
そういう時とかよく再現ドラマでこの音楽に出会ってとか映画に出会ってとか異性に出会ってとかいう類の話はよくあるけれどあーゆーのは全部嘘だと俺は言い切りたい。
 
その手の話は似非宗教団体の勧誘の手口そのもので俺は感動した試しがない。
 
まだそういうのよりその人の偶発的な思い込みなんでしょうけど、自分が結婚して子供をパートナーが妊娠したのがわかった時にゆういつの肉親の母親が逝去したとかの(生命の譲り受け?)実話や、プロポーズした際にその男はすでに髪が薄かったのだけれど、付き合っている女性に「それ以上髪薄くならないでね」と返された(つまりOKした)という実話の方が説得力があるのだ。
 
だから自分みたいな小さい人間は、好んで大きい器の広い(またはそう見える)人間が奏でる音を聴くに至っている。
 
因みに自分の何回目かの転換期は、無気力無感動時代(もち無職)の20代前半の頃にやる気もなく軽トラの配達バイトしてて飲酒したうえに居眠り、電信柱に激突して救急車で救急病院に運ばれた時に親父が心配して駆けつけてくれたことかな?言葉は忘れたけれど焦るな、まだ若いから何でもできるとかなんとか?とにかく荒んだ自分を励ますような言葉だったように思う。幸い大した怪我もなく(低速20キロ前後?)軽傷で済んだ。
 
俺が親父と逆の立場だったらそこまでの対応をするだろうか?今思えばよく怒鳴られたけれど、俺なんかより数倍器の大きい人でした、財産は残せなかったけれどもっと大事な身内や自分の大事な存在は全力で守る、包み込む包容力というのを身をもって見せてくれた。
 
世の中の親という存在の方々のほぼすべてがこういう人たちなんでしょう。
 
それは実子にたいしてだけでなく愛玩動物や自分に関わるすべての対象に優しいまなざしを向けていると思う。
 
だからと言って自分自身、人間的に成長したとも思わないが経験値である程度の予測能力みたいのなのは培われた気はする。
 
この曲はラヴソングなんでしょうけれどサラリと聴ける今の時期にピッタシの音のように思います。
 
時折、ディランやヤングを聴いているとなんの効果か?わかりませんが自分がキツイ状況にあった時をフイに思い出したりして意味もなくじんわり噛みしめて聴いているときがあります、口ずさみます。
 

Neil Young - Unknown Legend

 
 
収穫の秋に嵌る楽曲の多い彼氏ですがこの曲もその一つと言えよう。
 
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