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俺たちにとってのLou Leedな存在とは? vicious

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俺らがティーンの頃に流れていたメインストリームの音とは別にオルタネイティヴな音を追いかけていた人間からはある意味、神格化された存在でもあったルー・リード
 
大体がPUNK経由でこの人なんかの情報は俺たちの場合、入手していたんだけれどズバリ、デビュー期から全然売れなくて70年代でもアルバムセールスは他の大物ほど芳しいものではなく、お決まりのドラッグ転落街道まっしぐらになるのですが、並の才能や凡人や友人関係の希薄な者は命を落とすことも少なからずあった時代でこの人が生き残れたのは、類まれな才能と異質な交友関係にあったように思う。
 
デヴィッド・ボウイーという英国のモッズ上がりのコンプレックスの塊の美男ミュージシャンとの交流がなければ、この人やイギー・ポップは若くして絶命していたかもしれない。
 
俺らの仲間内ではベルベッツもそうなんだけれど感覚としてこの人に対してはボウイーのようなPOPな軽さはあまり感じられず重い印象を受けた。
 
故に売れていないけれど大物感があり重厚であるという印象が強かったんだ。
 
この曲は変態、変態、おかまを掘られたいって??、何かゲイやホモセクシャルのつかず離れずの得も言えぬ痴話げんかのような内容である。
 
パートナーをなじりながら羞恥プレイをしているような倒錯感を重いダウンビートに乗せた彼氏の代表曲と言えよう。
 
少なくとも俺なんかは若いころこういうのが本物のリアルなRockだと信じて疑わない時期があったけれど今もってその感覚はあまり変わらない。
 
今は少ないだろうけれどこういう感覚に近い音を聴くと結構敏感に反応してしまいます。
 

Lou Reed ''vicious''