気ままに気楽に

今日も息をしています

俺なりの格闘技論?


日本という国は古来から国体が存在する以上格闘技が盛んであった。

イメージ 2

徒手格闘技(いわゆる素手)で言えばかなり進んだ国体であるといえる。

体重制で体格差のない格闘技であるボクシング以外を除き、格闘技は無差別級である。

そういう無差別級の闘いになれば絶対に体格的有利(大きなもの)が勝つ可能性が高いのは当たり前というのは子供でも分かる。

そういう格闘常識の概念を破ったのが俺の中ではプロレスの中でのタイガーマスクマイク・タイソンだ。

マイク・タイソンの場合はその強さのベールがはがれた後は大した記録も残せず、大したことないボクサーに負けているので俺の中では評価は低い。

一発が命取りになるヘビー級で180cm以下の身長ななのでしょうがないともいえるけど、あまりに人間的に弱すぎる精神性を見せたのはいただけない、はっきり言って駄目ボクサーの典型のような道筋はボクシングファンとしては情けない。

要は精神力が弱い奴だったといわれてもしょうがない。

話変わって佐山サトルなんですがバリバリの右翼であり、根性もある?元レスラーである。

こういう精神論は今絶滅だけど俺たちの世代ならわかる部分ではある。

少なくとも格闘技やその他スポーツで勝敗を決する世界に居る人間は原点の一つなのだ。

ただ叱る、怒鳴、どつくだけではなく褒めるのも加えるという指導が今、格闘技に限らず日本のスポーツ全般に欠けているような気がする。

体力的に勝っている相手に体力では勝てないが根性?で食いついて行く部分はあるとは思う。

そう身体的に差がない場合はね、いまそうなんじゃないかな?







イメージ 1




コレが正論とは言わんが日本にとって必要な部分ではある思う、すべてにおいて。

お花畑じゃないんだ世の中はの。