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モハメド・アリの極私的名勝負


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当然のことながら、モハメド・アリが逝去されたので老舗ボクシング雑誌、ボクシング・マガジンは追悼特集だったし、増刊号も出ていたので買った。

未だ完読したわけではないが俺が生きている間の宝物となるだろう。

そこで勝手にモハメド・アリの功績とともに簡単に彼の名勝負を振り返ってみたい。

因みにボクマガは1970年代後半~80年代前半はほぼ毎月購読していました。

俺がアリの存在を知ったのは1970年代に入ってからなんで当然60年代は後追いですが、70年代後半くらいに確かTVで観た彼氏の半生のドキュメンタリーを観て度肝を抜かれたのがまず、この試合。

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この凶暴な顔つきのヘビー級はソニー・リストンと言いまして、プロボクシングの世界に入る前は強盗やらして監獄暮らしがあるモノホンのギャング男で、タイソンなんか可愛く観えるくらい凶暴なファイターで世界王者であった。

1964年、ホラ吹きクレイがこの強豪を番狂わせの7R開始前TKO勝ちするまで、いわゆる旧来のパワーボクシングのヘビー級であった。

翌1965年にリターンマッチをするのですがそれが凄い試合であった。


フットワークがまず軽い、軽量級でもこんなに軽くない、そしてKOパンチは観えない。スローでようやく判明するがコレはアリ自身はドキュメンタリーの中でマジックパンチだと言っていたが、高度なカウンターのコークスクリューブローである。

つまりカウンターの上にひねりを効かせた右ショートフックでこういう技術で驚いたのはレノックス・ルイスのルーピング・ライト(観えない角度から打つ右ストレート、フックとストレートの中間のようなパンチ)やショートアッパーに匹敵かそれ以上のパンチで、後にも先にもこういう凄いパンチを観たことがありません。

因みに負けたリストンは身長は185cm(アリ191cm)ほどであるがリーチは2m10cmあるのだがアリには届かない、スピードの差がありすぎるからだ。

この試合、早い回のKOだし八百長説も流れたそうだが明らかにリストンは足にきて効いているのがわかる。

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1971年に行われたこの世紀の1戦からなんとなく記憶にある。

1967年からベトナム徴兵拒否をして有罪判決、世界タイトルはく奪で3年ほどのブランクをアリは作ってしまったが、その間にスモーキンと仇名がつくジョー・フレイザーというファイターが世界王者になっていた。



全世界で衛星生中継、8億人が目撃したこの全勝同士の世紀の対決はフレイザーが15R判定勝ちを収める。

このフレイザーは前述のリストンと違いスピードのあるファイターで動きが変則的でアリの弱点(というよりアウトボクサー全体の弱点でもある)右ガードが低いため左フックが強烈な武器の彼はアリの天敵でもあった。

この試合のノックダウンで8人の人がショック死したとも言われる。
そのくらい強烈でよくアリは立ってきたと思う、物凄い精神力、忍耐力である。

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そのフレイザーを簡単に叩きのめした強者がジョージ・フォアマンである。


この試合、惨劇でしてTV観た記憶がありますがフレイザー、死んじゃうんじゃないか?というくらい怖かったです。ヘビー級がパンチを受けて両足が宙に浮く映像を初めて観ました。
象をも倒すと言われたフォアマンは個人的には歴代最強のボクシングの強打者です。

このフォアマンと、74年アリはザイールのキンシャサにて対決するわけですが試合前の予想はアリ圧倒的不利、もしくは引退に追い込まれるとも言われていました。

フォアマンはこの前年に日本来日してジョー・キング・ローマンという格下を簡単にKOする試合を観ていましたので100%アリが負けると自分も周りも予想していた。


大方の予想通り、アリは得意のフットワークが使えず6Rまでロープにくぎ付け打たれっぱなしでいつ?倒れるんだろうと観ていたんですが、徐々にパンチを返していき8Rに右ストレート1発でフォアマンをKOします。

フォアマンは確かに当時世界最強のヘビー級でしたが精神面のもろさとスタミナと耐久力には疑問符があったのですが、そういう処はタイソンなんかと共通項がありますが、フォアマンというのも本名ではなく本人含めた4人のチームのリングネームだったそうな。しかし肉を切らして骨を断つようなこの戦いは、観てて鳥肌が立ちましたし未だにこういう劇的なボクシングの試合を観たことがないし、今後も観ることがないでしょう。ボクシング史上に燦然と輝く試合です。



さてアリは当時史上初めてヘビー級王者に二度なったボクサーでしたが生涯のライバル、フレイザーケン・ノートンとは過去1勝1敗で決着をつけねばなりません。

ノートンとの第3戦に関しては個人的には判定負けだと観ましたが、判官びいきというかフォークヒーローに勝つには明確にノックダウンを奪うか圧倒しないと駄目だなというのは感じました。それは別として凄かったのが1975年にマニラで行われたフレイザーとの試合。


この試合でもアリは相当、苦戦しているし負けてもおかしくない内容でしたが若干フレイザーの攻撃パターンをアリが読んでいたようには思えます。

15Rのゴング開始してもフレイザーは立ち上がってきません。

アリの執念が観えた凄い試合でした。この試合以降はもうノートンとの試合以外記憶にないのですがスピンクスに超番狂わせで負けるまではもうこういう輝きは失いつつありましたが存在感はありました。

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アリがミュージシャンのサム・クックと無冠時代から親交があったのは有名ですが、最後にTVショーで一緒に口ずさんだ?と思われるこの楽曲でこの記事を締めくくりたい。