気ままに気楽に

今日も息をしています

ゴジラの逆襲



イメージ 1


必ず映画でシリーズ化されるものはモンスターモノは特に逆襲というタイトルがつく。

世界特撮史に燦然と輝くゴジラも続編が創られた。

俺の超個人的感覚なんで特撮マニアやゴジラマニアは聞き逃してほしいのだが、このシリーズは本来はコレで完結したかったのでは?と勘繰るのである。

何故か?それはこの映画が1955年発表でこの続き?といえる「キングコング対ゴジラ」が1962年だかに発表しているのでこの映画全盛時代に7年の空白というのは大きく作風が変わると想起する。

1954年に科学者の命がけの研究と活躍?によりオキシデンデストロオイヤーという細胞破壊兵器により骨だけになって死んだゴジラは蘇っている。

コレはゴジラが一体だけではないという志村喬演じる教授が前作のラストで述べた言葉通りでこの地球上には何匹も水爆で蘇ったゴジラが居るのだ。

つまりこのゴジラも新怪獣アンギラス(恐竜から派生した古代怪獣?)も人類の脅威であり不気味でもあり感情がみえない処にある。

怪獣ってまあいわば恐竜の生き残りみたいなもんで哺乳類のような感情を持つわけではないのでしかもいわば誕生自体が、人類の核実験により本来死滅していた生命体が蘇っているので、脅威以外の何物でもないわけだ。

キンゴジ、モスゴジまでは個人的にはゴジラは凶暴で人類が作り上げた巨大な脅威ではあったがそれ以降は、キツイ言い方ではあるが人類の味方?となってしまう。

自分の記事に社会性やら政治性を持たす意図は毛頭ないが、日本が被爆国でありながらエンタメのこういう部分でも原子力を認めてしまったのは言い過ぎであろうか?

ゴジラもアンキロサウルスも水爆実験のおかげで本来、永遠に眠り続けれる神的存在だったのが具現化してしまうから恐怖の象徴となる。

結局、この映画の中でもゴジラは完全に絶命はしていない。

神に近い存在、もしくは人間技で蘇らせてしまった恐怖の象徴はそんな簡単に撃退は出来ないのである。

つまり日本が着想したゴジラという存在は俺の存在が消滅しても常になくなることのない恐怖で破壊神であるかもしれないが永遠の存在ということである。

イメージ 2


少なくともこの映画からモスゴジまではゴジラシリーズは怪獣ブームとかではない真の恐怖を描いているとは思う、人間技の大坂城、、、、、、、当然破壊される。