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汚れた顔の天使



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ジェイムズ・ギャグニーという俳優は一般的にはコメディアン?で知られているのか?

俺は1920年代生まれの人間でもなくこの映画の存在を知ったのは亡き父親が俳優で名優と呼べるのはジェイムズ・ギャグニーだという言葉に引っ掛かりがあったのだ。

彼が主演したギャング映画「汚れた顔の天使」は米国1938年公開、1939年に日本公開の映画らしいが俺の親父が当時、映画館で観たのであれば相当影響を受けても仕方ないであろう。

ジェームズ・ディーンではなくギャグニーだと。

この映画のストーリーは二人の親友がそれぞれガキの頃はワルガキでつるんでいたが一人はギャングの道を歩み、一人は聖職の道を歩み、それぞれの運命や人生を描いている。

ギャング役のギャグニーはこの映画では一応悪名高いギャングとして最後には処刑されるのであるが、その理由は闇社会の告発をしようとした親友の聖職者が別のギャング団に命を狙われているのを知り、ギャング団を抹殺もするが同時に警察の数人も撃ち殺してしまう。

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よって捕獲され死刑宣告されるのだが、不良少年のヒーローでもある自分は臆病者でもなく堂々と処刑されるつもりだったのが、助けた親友が独房に尋ね頼むから出来るだけ臆病にみじめに泣き叫んでくれ、未来ある少年たちのためにと懇願するが拒む。

いよいよ処刑の瞬間に親友の頼みを引き受け演技しながら、少年たちの失望を浴びるその姿は未だに目に焼き付いています。

俺の父親が何故ギャグニーが素晴らしいのか?この映画がベストムーヴィーなのか?というのがわかって慄然としました。せこいギャング役の端役でハンフリー・ボガードが出演しているがよく似合っている。

というわけで倫理観?みたいなのを感じさせる思い入れある個人的名画。