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ザ・モンスターマン

アントニオ猪木が柔道王ウィリアム・ルスカと対戦を表明した1970年代中盤から80年代にかけて空前の格闘技ブームがまきおこります。
 
一説にはこの格闘技ブームというのは仕掛け人が梶原一騎で当時、新日本と全日本にメジャーなプロレス団体は分裂していたのですがその長、猪木と馬場を呼び寄せて自分が招聘する主に北米の格闘家と闘い(もちプロレスね)一緒に団体も盛り上げていかないかって話をした時に馬場は首を横に振り自分は独自路線で行きますと言い、猪木は了承したらしいのである。
 
ソレは全日本プロレスには天下の読売グループの日テレ系の放映が毎週あり放映権料がしっかり入っていたのと華のあるNWA世界王者やファンクス、M・マスカラス等、人気外人レスラーを招聘出来る力があったのでそんな異種格闘技なんてする必要がなく純粋なプロレスをするだけで充分だったからである。
 
一方、猪木の方はというとNETテレビ(現TV朝日)の放映が毎週あったとはいえお世辞にも全日と比べて派手な外国人レスラーを呼ぶ力もなく国際プロレスのエース、ストロング小林を引き入れ日本のレスラー同士の因縁対決や地味なレスラー、T・J・シンを凶暴なインドの狂虎として極悪レスラーに仕立て上げたりしてプロデュースが大変だったみたいで地方大会の入りが全日に比べて新日は弱かったからだとも云われています。
 
で猪木は一連の異種格闘技戦を始めるわけなんですけど、M・アリとの試合がガチの真剣勝負な上に試合内容もプロレスではないのでまるでスイングしなかったことから打撃系格闘家との戦い方もプロレス流にアレンジしてもちろん対戦相手にも協力してもらってスイングする格闘技戦をやりはじめます。
 
その再スタートとなった相手のモンスターマンは全米ヘビー級プロ空手王者の肩書でしたがプロレスも上手でしたね。ところどころ猪木もパンチやキックを貰ってますけど顔面、特にアゴには一発も打撃を喰らっていないと思います。
 
とにかくこの当時、ウワ~ガチでマーシャルアーツの王者とプロレスラーが対戦してるって興奮して観ていた人も多かったんじゃないでしょうか。
 
この時代の異種格闘技戦を忌々しく観ていたのが当時の極真空手愛媛士部長、石井和義だったと思うのです。
ですから一時期、K-1のリングに新日本のプロレスラーと異種格闘技戦をさせてほぼガチンコでファイトさせてレスラーをKOさせるといった意趣返しをしてたと思うんですね ♪