気ままに気楽に

今日も息をしています

今週のボブ・ディラン  大地震で亡くなった全ての方々へ

1月17日ってのは自分にとって特別な日になりました。
 
もうあれから16年経つねんなあ~。。。。。
 
オギャーと生まれた子供がもう高校1年生になるんですね。
 
ワタシがこのブログってのを開設して2年半、そして記事を投稿しだして2年弱の間、なるたけ震災関連の記事というのは避けていたというのか自分の性格上、あまりこういう深刻な事象をブログ上で展開するのもどうか?というのもありましてあえて記事にはしなかった部分もあります。
 
昨日1月17日は色んな方の色んなブログにて震災関連の記事を散見しましたけどドレも素晴らしい記事ばかりで思わずこみ上げてくるモノがありました。
 
日本に生まれてホント良かったなといいますか。
 
ワタシの住んでる地域は神戸市のどちらかといえば西神戸にあたる長田区という処でして、あの地震の被害に関していえば灘区、東灘区と並んで未曾有の被害にあった地域です。
 
あの朝、早朝余震も含めて物凄い揺れといいますかワタシは体が浮きそうになって必死で身体を床に吸いつくような感じで抑えていたと思います。
 
未だ暗闇だったので地震があったのは分かったのですけど、玄関から出て地面が割れてる様な感じがしたのでコレはエライ事になったんではとその時、実感しました。
 
実際は屋根瓦が揺れの為に全部、落ちていたので地割れと勘違いしたのでしょう。
 
すぐさますぐ近所にいる母親を救出、因みにワタシの処も彼女の処も後に全壊認定が下りたのですがかろうじて崩れずに建っていたので助かりました。中の家具やらなんやらは倒れてて、丁度父は病気が悪化して前年から病院に預けていたのですが、彼が常に寝床にしていた部屋は100kg超の家具が横倒しに倒れていたので、もし家に居てたら即死だったと思います。
 
当時兄は隣町の7階建てのマンションの5階に住んでいたのですが出勤途中の準備で着替えをしてたそうなんですがそれこそ、177センチ体重90キロ超のヘビー級の彼が8畳の部屋の端から端まで吹っ飛ばされたそうです。
 
なんとか彼は地力で私らの家の方までたどり着いて来たのですが顔色はなかったです。
 
ワタシも顔色はなかったと思います。
 
それで避難所の最寄りの小学校に避難したのですが空の色がドス黒かったです。
 
火災が始まっていたんですね。物凄い大きな煙の束が南の方に4つ見えました。
 
当日は晴れていたみたいなんですが何とも空の色が煙に覆われて不気味で異様でした。
 
ワタシは神戸でこんなだから大阪いや全国はとんでもない事になってるのでは?と思ったのですが自分の住んでる地域が一番被害が甚大であったのをようやく須磨区の山手の方の公団住宅に住んでる叔父の処に避難してTVを付けてようやく理解できたんです。
 
避難は車でしたのですがもう地獄絵図でした。物凄い炎が南の方に見えていて、車内が熱かったくらいですからこのまま親子3人炎に巻き込まれるのか?今まで生きてきた人生の中で生命の危機をここまで感じた事は無かったので。
 
ガス管なんかも破裂したりしてワタシの自宅周辺でもガス臭かったのを覚えています。
 
それで4軒程北隣の家が崩壊して中から『助けて』って声が聞えるのですがどうにも救出出来ませんでした。
 
その人は後に来た有志の救援隊に無事、救出されたそうですが。
 
この地震でワタシは昔の仕事仲間、小中学校の友人、親戚縁者、10数名を失いました。
 
ほとんどの死因が圧死です。2階が1階状態になってる家がほとんどだったので1階で寝ていた人がその犠牲になったのだと思います。ワタシの家の周りも一部新しい住宅を除きそういう状態の家が多かったのでワタシの住んでる家も2階は当時空き家だったのですが運が悪ければ圧死していたでしょう。
 
この震災の影響でワタシも兄も多くの犠牲になった人々も職を失い、神戸自体も大打撃を喰らうのですけど段々この未曽有の大災害も風化しつつある中、多くのブロガーの方が取りあげてくれてありがたく思います。
 
避難した先の叔父に戦争とこういう地震ってドッチが恐怖かな?って聞いたら地震って言ってました。
 
理由は敵が見えないからってのととりあえず戦争だったら攻撃があれば防空壕に身を隠せばなんとかなるけど
 
見えないしかも地下からの自然災害って絶対に恐怖であると。
 
なんか太平洋戦争で地上戦が始まるかもしれない地域で育った人の言葉でしたから説得力がありました。
 
当然、ワタシの昔のバンド仲間なんかもワタシを一番心配してくれて電話をずーとかけていたそうです。
 
当然つながる訳もなく、後に数軒彼らに連絡を取り合ってお互い情報交換しあったりしました。
 
彼らの中のその地域に住んでいる実家の両親や身内がやはり被災して被害にあってる話も聞きました。
 
もう駄目アカン思ってたんや~って後に電話越しで震える声で話した旧友もいたりして、又家の復旧作業を手伝ってくれた友人もいてホント感謝、感謝でした。
 
最後にこの駄文を最後まで読んで下さった皆様に感謝するとともにこの地震で犠牲になった多くの方々の魂が天国へ行き、生き残った我々を見守ってくれてるんだという万感の思いを込めてこの曲を捧げます。
 
Bob・Dylan  "Knocking’ On Heavens’ Door”