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逃亡地帯

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映画「逃亡地帯」は1966年に公開された、監督アーサー・ペンのハード・エッジな映画である。

ワタシはこの映画の誕生を持ってしてアメリカンニューシネマの始まりと捉えています。

舞台設定は西部開拓時代の様でゴールドラッシュや、石油の油田を掘り当て一夜にして億万長者になれるアメリカンドリームのあった時代であろうと思える。

そこでそこそこ石油成金が幅を利かせていた田舎町に地元出身のロバート・レッドフォード演ずる殺人囚が脱獄、町に舞い戻ったってニュースが入り、町の人々は騒然となる。

ただこの町の保安官を演ずるマーロン・ブランドは一人、冷静になり殺人囚の妻役のジェーン・フォンダを利用して連絡を取り合法的に彼を自主的に自首を促すべく、スクラップ置き場で密会すように画策したのだが。。。。

この田舎町の人間関係構造自体が異様で街の顔役で石油成金のバル・ロジャースとその息子ジェームス・フォックスも親子関係が破たんしており息子は父に対して寝首をかいてやろうかという勢いである。

しかも囚人の妻、ジェーン・フォンダとこの息子は男女関係が出来ており、他の住民間でも夫婦交換のいわゆるスワッピングが毎週行われる退廃した町なのだ。

だがそんな退廃した田舎町の住民にも殺人犯の脱獄囚は許せない存在のようでラストは壮絶な悲劇で幕を閉じる。

保安官役のマーロン・ブランドがそのあまりな絶望感のためにひれ伏すシーンは、映画史上でも最も挫折感を味あわせる名シーンと個人的には考えたりする。

 コレは舞台は20世紀初頭?であるが、人間狩り等の描写を通じて、当時の世相、人種偏見、不安と退廃、人間の内なる凶暴性や暴力性を鋭くえぐり出した社会派ドラマの傑作である。

この映画の後に「俺たちに明日はない」をアーサー・ペンは撮るわけだが、衝撃度はコチラに軍配を上げる映画好きもいるかもしれない。どちらも60年代の素晴らしい傑作であるが。

最初にワタシはカットされまくりの日常洋画劇場でコレを観たのでサッパリ意味が分からなかったが、後にノーカットのビデオで観て震撼、鳥肌が立った記憶がある