ガルシアの首
ずいぶん以前にサム・ペキンパーの映画は全部観たと言いきった。
たぶんそうであろうと思える、そんなに本数はないし監督作は全て観てる筈。
ペキンパーの映画の魅力の一つにメソメソするな、女子供で、まして男に生まれたからにゃ男を貫き通せやってな一連の勝手な思い込みがある。
ほとんど主人公が男でしかもそのほとんどが決闘シーンと血潮が噴き出る銃撃シーンが多い映画が多い彼氏の映画ではあるが、この1974年に公開された映画は、本人も語っている通り、文字通り暑くさい乾いたある意味Coolで馬鹿な殺し屋(賞金稼ぎ)の物語である。
時代設定は現代のようであるがどことなく、マカロニ的なエグさを感じるのもまたペキンパーらしい映画ともいえる。
はっきり言ってこの映画の主人公、ウォーレン・オーツなんてのはビッグバジェッドの映画の主人公にはなれないビジュアルであるが、俺みたいなブサイクな野郎はどうにも惹かれる男優である。
南米のどこかの大富豪の娘が婚約?をしていながら間男の子どもをみごもった、もしくは父親に黙って妊娠してしまったかなんかそういうので娘は咎められ、自分の部下に下腹部を切り裂けさせられるシーンから始まるからR指定決定、女性蔑視丸出しなんだが根底には男が女に(娘でも)、裏切られて激怒する(もちろんメチャクチャやりすぎだが)のは、洋の東西どこでもあることである。
その娘の不貞の相手フレッド・ガルシアを見つけ出し、首を俺様に差し出したら誰でもイイ100万ドルを差し出すということで、争いが繰り広げられるだけの内容である。
ガルシアというのは既に死亡しており、売れないミュジシャン、ウォーツはひょんなことから金欲しさのために恋人ともにガルシアの首を奪還しようとする、そして成功はするが大きな代償を払う。
中盤にだれるシーンもなくはないがペキンパー曰く、この映画が自分の代表作である
と言いきっている処で、この映像作家の暴力描写の中に真の人間性を見出し、どうあれ悪人は壮烈に滅びなければいけないという滅びの美学にあふれた1970年代のニューシネマである。
サントラとかはたぶん?のどかな雰囲気なんだろうが非常に俺の中では「地獄の黙示録」なんかに匹敵するRockムーヴィーであり、未見の方には気合を入れて観て欲しい力作で個人的名画である。
俺みたいなヘタレ男でない真の男の人間的強さ、優しさが垣間見える。
愚かな男かもしれんが、映画になるような小説になるような男は愚かでもないと物語にはならない。
ハエがブーンブーンたかる箱に入った生首に「おい兄弟」なんて持ち歩く勇気自体、俺にはない。
ウォーレン・オーツ、大好きな俳優である。