金閣寺
一応、亡き父親の遺言ではないんですが、元気な頃の口癖で三島由紀夫は読めと言われていたのと司馬遼太郎(コレは俺自身が好きな文体の作家なんで)の全作品は息をしている間すべて読破するのを読書目標にしている。
この小説家特有の耽美的な表現も観られますが、コンプレックスの塊の青年が意を決して湖畔に映る美しい金閣寺を燃やしたい衝動に駆られ放火を決行する様が描写されている。
火を点ける、火を起こす技術は地球上の動物で人間しかできない。
で又、火は悪魔的な炎で大惨事を起こすこともあれば、花火のような芸術に近い表現を起こすことも出来る。
俺ら世代(プラモ世代?)なら一度は爆竹百連発とかってバチバチやって近所の大人や先生に大目玉くらった人間も多いだろう。
子供でもなんといいますか炎や火というのは本能に訴えかける力があります。
内反足(漢字変換できない)、要は内股の酷い太平洋戦争を経験したが生き延びてコンプレックスの塊の坊主の青年が常日頃、悶々とした日々を送りながら結論は美しい金閣寺を燃やすこと!と決める物語である。
このひどい内股って男はもちろん女でも物凄いコンプレックスになると思う。
酷すぎるおおうきゃく(股の間が空き過ぎている)とかね。
1970年代に確か?篠田三郎(ウルトラマンタロウ)主演で映画化されたがまるで駄目だ、こういう陰鬱な青年はショーケンとか沢田とかせめてむかーしの水谷豊、根津甚八に演じさせないといけない。今の役者でいえば誰でしょう?該当者なし。
この主人公はおそらくアメリカンニューシネマやヌーヴェルバーグの多くの主人公と同じく自決しているのだろうがそこまでの描写がない処が日本的でなく斬新であり、俺の中で勝手に世界中で評価されてる部分かなと考えたりもします。