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夜の大捜査線


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アメリカンニューシネマの金字塔の一つ。

まったく極私的で申し訳ないがアメリカン・ニューシネマの起源は66年の「ワイルド・エンジェル」、「逃亡地帯」に始まり1980年の「レイジング・ブル」で終焉を迎える。

1967年公開の本作は同年のアカデミー作品、主演賞を取り同年に公開された傑作「俺たちに明日はない」を凌いで賞を取っている。

またまた極私的で申し訳ないが、アカデミー賞なるモノ自体米国主体のいわばMLBワールドシリーズ王者を決める賞みたいなもので、いわゆる全世界の映画の中での王者を決める賞ではないが、1950年代以降80年代半ばくらいまでは意義があったし、日本でもアカデミー受賞作という売り文句で翌年の春に劇場公開される中で観客動員を左右するキャッチコピーとなる謳い文句ではあったのだ。今は駄目だろう。

67年、この映画は当時の公民権運動の高まりやベトナム戦争に対しての米国民の国体への猜疑心、根深い米国南部の人種差別をノーマン・ジェイスンが渇いたタッチで描いたサスペンス映画の傑作である。

先日、久々にCS放送で観て改めて凄い映画だと唸ってしまった。

ひょんなことからミシシッピ州のとある駅に降り立った身なりのイイ黒人青年刑事(シドニー・ポワチエ)がある大物ゼネコン長者の殺人事件に巻き込まれるお話だ。

南部特有の人種差別の中、いい加減な捜査しかしない地元警察や容疑者の一人と目される大物農場主のビニールハウスの花畑に捜査で地元警察署長(ロッド・スタイガー)と入るシーンがまんまボガード主演の往年のクライムムービー「三つ数えろ」のオマージュだったり映画ファンならニヤリとするシーンも多い。

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ミューシネマの一つのテーマとして、俺の中ではヒロイズムよりヒューマンと相互信頼、ホモアアクミスなんかの要素があるがこの映画は差別の激しい南部を舞台にした処に、当時相当斬新だったのであろう。しかも北部でずっと立場が上の殺人事件専門の敏腕刑事に対して南部の田舎署長が殺人事件なんか扱ったこともないから懇願して、最初容疑者としてぶち込んだが身分がわかった時点で釈放、協力を懇願するなど当時の米国の世相、ブラックパワー、モハメド・アリの徴兵拒否などなど社会性の高いドラマだったのだと想起する。

音楽担当がクインシー・ジョーンズで主題歌をレイ・チャールズが歌っている。その当たりも斬新でむかーしは実質、主演男優賞はポワチエだろ!と思っていた俺もやはりスタイガーの演技が素晴らしかったと今回観直して感じました。

映画と音楽の親和性は非常に高いモノがある、しからば特にサントラを語るならば映像も観るべきだというのは俺の中での個人的常識。「イージーライダー」「ビリー・ザ・キッド」なんかもそういう範疇に当たるね、90年代以降のほとんどはどうでもいいけどさ、映像もよけりゃ音楽も渋いし格好イイのよ。

極私的オールタイム映画の10本に入る傑作。

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ラストシーンの三角撃ちみたいなシーンは香港クライムムーヴィーやタランティーノに大影響を与えているだろう。若い頃スタイガーのサングラスを少し真似した。