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ワイルドバンチ



パクリ企画しりとり第3弾 映画しりとりは合計121作のノミネートがありました。



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第70弾はワイルドバンチです。

1969年作のサム・ペキンパーの監督作にて最高傑作と評価の高いニューシネマ。

この映画は前にもブログの記事にしましたけど、その時も今も俺の感想、感じ方は変わりません。まず北野武が摸倣したであろう全員、悪人、善人は出てこない。登場人物誰にも肩入れは出来ない。

だけれどもこの映画が最後の西部劇と言われるのは、一つに馬車ではなく電動機で動くクルマが登場して、先住民を駆逐して占領略奪する元欧州人の横暴劇でもなく、メキシコの独裁者率いるメキシコ政府軍と騎兵隊に偽装した強盗団と米国軍との三つ巴(ドレもワル)の戦いの中にある。

ペキンパーが何故に映画評が高いかといえば、全ての映画に言えるわけではないが、完全に肩入れ出来ない主人公が出てくる、大概が。

この映画でいくと強盗団のリーダー、ウィリアム・ホールデンだが決して善人ではない。かといって根っからの悪人でもない。

そう人間は愚かなりし存在であり、その内なる中に善と悪が絡み合って色んな要素があるのを、俺なりにいつもペキンパーの映画を観て感じてしまう部分があるのだ。

ある意味、人間の本性を生々しく描く映画監督だから評価も高いし、俺自身観てて納得する部分も多い。一方に肩入れできる勧善懲悪な物語はワンパターンで面白い処もあるがそれは絵空物語であり、立場が変わればどちらかが善で悪で中庸でどっちつかずでがリアリズムというのか、俺なんかもそうですが、ほとんどの人々が俺含め中庸で生きていってると思うのだが、こうメーター振り切った現実に居た大悪人とか大有名人とか善人面した守銭奴とか、そういうのがペキンパーの映画では垣間見れるので何度観ても面白い部分はあるのだ。ラストの銃撃シーン、中盤の橋の爆破シーンはまさに本物を壊しているのでド迫力である、これもリアリズム。