気ままに気楽に

今日も息をしています

他人の顔

イメージ 1

イメージ 2

イメージ 3



俺は等しく人と言うのは変身願望があるものだと思っている.。

俺なんかは永遠におっさんでありながら感覚は中学三年生なので、さすがに仮面ライダーウルトラセブンに変身!って願望はありませんが、現実のスポーツヒーロー、ダルビッシュ有みたいにメジャーリーガーの強打者をバッタバッタ三振にとったり、ボクシングのウェルター級の世界王者になってロベルト・デュランのようにマッチョで強打をふるうシーンを勝手に妄想しながら眠りに着く事がしょっちゅうだ。

要は早い話、自分の現実の人生がインケツなんで夢の中だけでも理想のスーパーな存在になりたいって深層心理もあるのだろう。

女性だったら欧風貴族と結婚して召使が何人もいて、セレヴというかよくわからんけど宝塚歌劇の演じる主人公に自分をあてはめることもあったりする場合もあったりするのでは?と妄想するけれどどうなんでしょう。

この映画は1966年に勅使河原宏監督で阿部公房の原作、脚本で東宝配給映画であるが、限りなくATG臭と言いますか勅使河原宏の自主製作っぽい映画のようにも思えます。

俺がこの映画の存在を知ったのが、1990年代に「フェイス・オフ」というニコラス・ケイジジョン・トラボルタ?だったかの共演のBムーヴィーの元ネタがコレって聞いたのでずっと気になっていて最近、CS放送で初めて観た次第である。

会社の専務だかの重役の男が化学実験の液体空気の研究中、爆発事故を起こし顔全体がケロイド状にただれ、いわば自分の顔を喪失した男の物語である。

この男は美人妻の京マチコが居ながら、その研究中に浮気中の助手の女(入江美樹)と一緒にいて女は顔の半分がただれてしまう。

男(仲代達矢)はほどなく包帯グルグル巻きで平幹次郎演じる整形手術の実験をしている医師の協力を得て、大やけどを負う前と違う顔のマスクを装着することに成功、完全に他人になりすまし、勤めている会社の受付嬢などが全然自分の真の姿を分からず、社長と面会させない対応などの反応を見て一人悦に入るのだ。

だが包帯姿で借りたアパートの大家(千秋実)の知恵遅れの娘(市原悦子)には正体がばれてしまう。

そして愛妻の前でも間男に扮して、彼女を誘惑するが全て自分の一人芝居であるというのが彼女にもばれて彼女は彼の元を離れる。

そして彼は絶望とも怒りともつかない心情のまま、デスマスクを作った医師の元にたどりつくのだが果たして・・・・・

この映画のテーマは不条理であり、そして皮肉でもあり、差別観(顔の美醜等の)や様々な要素があり凄い考えさせられた映画ではあった。

よく障害を持たれている方の方が六感や臭覚が敏感で鋭いなんて描写も、観ている視聴者をドキドキさせる処があったりもする。

Bムーヴィーの「フェイス・オフ」や映画版「犬神家の一族」のアイディアはこの映画から多分に頂いているのでは?と多少感じました。

ここまで書いてなんですがこの記事とこの動画は体調のすぐれない方、心臓の弱い方はあまり観ない方がいいとは思います